紺婆に噛み附かれた歯の痕が三日月形に残って居て、確かに輪田夏子だと分りました、夏子は痛く驚き怒って、此の秘密を他言せぬ様に堅く誓いを立てねば此の室を出さぬなど云い、甚い剣幕で私へ迫りました。私は之が養母をまで殺し、牢から脱け出て来た女かと思えば、唯の一刻も差し向かいで居るのが恐ろしくなり、何うかして室の鍵を奪い、戸を開いて逃げ出し度いと思い、再び争いを始めました、今度は口だけの争いではなく、身体と身体との争いです、私は鍵を取ろうとする、向こうは取られまいとする、組んづ解《ほぐ》れつ闘いますうち私は滑らかな床に足を辷らせ、自分で※[#「※」は「てへん+堂」、読みは「どう」、177−上6]と倒れました、此の時次の室の片隅から苦痛に耐えぬ声が聞こえました。
「是は貴方の声でしたが二人はそうとは知らず、さて聞いて居る人が有ったのかと一方ならず驚きました、けれど何方かと云えば秀子の方が私よりも深く驚いたのです、私は人に聞かれたとて大した迷惑は有りませんのに、秀子は誰にでも聞かれては全く身分を支える事が出来なくなります、夫ゆえ秀子は声を聞いて其の方へ馳せて行きましたが、其のあとで私の紛失と云う奇妙
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