しむにも及ばぬ訳サ。
 叔父は聖書の表紙などを検めて「表紙に塵などが溜って居ぬ所を見ると此の頃まで人手に掛って居た者だ、何うも己の推量が当って居る様だ」余「エ、貴方の推量とは」叔父「昔、此の書が紛失したと聞いた時、己は多分其の頃老女を勤めて居たお紺婆が盗んだのだと思った、アノ婆は非常な慾張りで有ったから、此の塔に宝物が隠れて有ると云う伝説を聞き、咒語さえ見れば其の宝の在る所が分る事と思い、先ず此の聖書を盗み、爾して其の後此の塔を買い取ったのだ」余「では此の聖書が何うして茲に在ります」叔父「多分はお紺の相棒が有ったのだろう、お紺自身は咒語を読む事などは出来ぬから其の相棒へ之を渡して研究でもさせたのだ、其の相棒が研究しても分らぬから終に絶望して聖書を茲へ返したのだろう」果して其の推量の通りならば、怪美人が其の相棒と云う事になる、余は何うも爾は思わぬ。アノ様な美しい女が其の様な悪事に加担する筈はない、若し加担したのならば此の聖書を余の手に這入る様に茲へ入れて置く筈はない、叔父とても若しアノ美人が此の聖書を茲へ置いた者と知れば、お紺の相棒などと云う疑いは起さぬに違いない、併し余は今、アノ美人の事を叔父に告げ、美人が此の聖書を持って来たらしいなどと知らせる事は出来ぬから、唯無言で聞いて居ると、智慧逞しいお浦は其の辺の事情を察したのか「爾です叔父さんの御推量の通りでしょう」と云い更に余にのみ聞える様に「是で益々アノ松谷秀子が、お紺の仲働き古山お酉だと云う事に成るでは有りませんか、何でもアノお酉が自分一人の力では行かぬから貴方をタラシ込んで相棒に引き込む為、薔薇の花も銅製の鍵も置いて行ったのです、あの女は叔父さんが此の屋敷を買う事を知り、叔父さんの家族の中に相棒がなくては了ぬと思って居ます、若し貴方を相棒にする事が出来ねば直接に叔父さんを欺し、後々此の家へ自由自在に入り込む道を開いて爾して宝を盗み取る積りです、叔父さんへ贋電報を掛けたのもあの女ですよ」
 余は此の疑いには賛成せぬけれど、爾でないと云えば八かましくなる故、無言《だまっ》て聞き流したが、其の間に叔父は咒語を繰返し「何でも図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下2]という者がある筈だ図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下2]は此の本の中へ秘して有ると兼ねて聞いて居たが」と云い、本の小口を下に向けて振って見た、すると中から一尺四方ほどの一枚の古い古い図面が出た、図面には「丸部家図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下5]」と書いてある、是だ、是だ、是さえあれば何事も分るだろう。

第十一回 チャリネの虎

 図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下7]とは何の様な者だろう、余も叔父も首を差しのばして検めたが、全く幽霊塔の内部を写した図面であるが、悲しい事には写し掛けて中途で止めた者で、即ち出来上らぬ下画《したえ》と云うに過ぎぬ、是では何の役にも立ぬ、咒文を読んで分らぬ所は図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下10]を見ても矢張り分らぬ、叔父の説では幽霊塔を立てた人が、先ず咒文を作って次に図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下11]を作り始めたが、中途で自ら塔の中へ落ち、此の世へ出ずに死んだから、夫で図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下13]だけは此の通り出来上らずに仕舞ったと云う事だ。
 併し叔父が此の塔を買おうと云うのは元々咒文や図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下14]の為ではない。噂に伝わる宝とても初めから叔父の眼中にはないので有る、図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下16]が充分に分らぬからとて何も失望する事はない、けれど兎に角此の図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、32−下17]は聖書と共に丸部家の血筋へ伝え来たった者で、今では叔父が其の最も近い血筋だから之を預って保管して置くと云う事に成った、之にはお浦も故障を入れる事は出来ぬ、併しお浦の拾い上げた銅製の鍵だけはお浦が何うしても放さぬ「他日必ず役に立ててお目に掛けます」と余に向って断言した。ハテな、何の様な役に立てる積りなのか。
 塔の検査は之だけで終り、吾々三人直ちに倫敦へ帰ったが、翌々日は早や買い受けの約条も終り、何の故障もなしに幽霊塔は本来の持主丸部家の血筋へ復った、是からは修繕に取り掛る可きで有るが、叔父は修繕の設計に付いては是非とも松谷秀子の意
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