度十時を打つ時で、有難や緑盤は余の思った通り二尺ほど開いた、其の中へ入って其の後は何うなるか其の様な事には頓着せぬ、蛇の這う様にして何うやら斯うやら其の中へ這入ったが、穴の内部には釘を連ねた忍び返しの様な遮りが有って余の着物は之に掛かった、秀子の被物がちぎれて居たのも之が為であろう、併し斯の様な事は物ともせぬ、被物は割ける儘に引きちぎったが唯驚いたは緑盤の内部である、緑盤の内部は即ち時計の内部で、前後左右に様々の機械が有って、動く度に突き当り、身を伸す事も出来ぬ、爾《さ》りとて背後に引き返さすには早や緑盤が塞がって了い、上にも下にも是より先へ行く可き道はない、全く窄《せま》い穴の中に這入ったので、時計の内部へ囚人と為ったのと同じことだ。
第百六回 塔の底の秘密
時計の中の囚人とは、余り聞いた事のない境遇である、余は茲で読者に告げて置くが、十時より十二時まで、即ち満二時間の長き間余は囚人の儘で居たのである。
第一に余は蝋燭を点して見たが、天地は四尺ほどである、無論起って歩む事は出来ぬ、左右は壁で、叩いて見ると厚い石の様である、勿論破る事も動かす事も出来ようとは思われぬ、奥行は幾間あるか暗くて見えぬけれど、此の突き当りは即ち時計の時刻盤の裏に違いないから深くも二間以上ではあるまい、余を囚人にして此の牢屋は四尺の天地左右で二間足らずの奥行きなのだ、而も此の隘《せま》い所に鉄の棒や歯の附いた車の様な物が所々に突き出て居る、云わば一種の機械工場とも云う可き光景なのだ。
余の前に松谷秀子が此の仮想的牢屋へ入ったに違いないが、茲から何所へ行っただろう、此の中で蒸発して了うに非ざるよりは何所にも脱け路がない様に思われる、咒語の文句を考え合すと「鐘鳴緑揺」の次に「載升載降」と有るけれど登る所も降る所もない様に思われる「階廊迂曲」などとは何の階廊であろう。
若し単に物好きの為に此所へ入ったのなら、余は恐ろしさの為に少しも前へ進む心は出ず、必ず十一時の鳴るを待ち、緑盤の揺く間から元の室へ逃げ帰ろうと云う一心になる所であるけれど、物好きドコロではなく、秀子が此所から塔の底へ潜り込んだかと思えば微塵も引き返す心はない、何うしても此の時計の中の秘密を解き、進めるだけ進む路を見出さねば成らぬ、進んで此の家の先祖と同じく終に還る路を失い、塔の底で叫び死ぬるは少しも厭わぬ、否、厭わぬではない、ドダイ其の様な気の弱い事は思い出しさえもせぬのだ、心が全く秀子の事に満ち塞って居るのだから思い出す空地もないのだ。
何でも何所かに秘密の路が有ろうと蝋燭を振り照らして改めると、聊か思い当る所が有る、時計の音と共に揺いた彼の緑盤の裏に、大きな鉄の鎖が附いて居る、何の為の鎖だろうと第一に怪しむ気が出た、緑盤の動くと共に此の鎖も動く事は必然だが、爾すれば鎖の先に何物をか繋いであって、其の物も亦動くで有ろう、此の鎖が何よりの手係りで有ると、其の鎖を握って引いて見ると、勿論ビクとも動きはせぬけれど、ズッと此の室の奥の方まで行って居る事は分る、奥の方の何所へ行って居る、隘い所に身を屈めて深入りして見ると、分った、鎖は一個の鉄の歯車へ着いて居る、此の歯車が廻るに従い鎖が之へ捲き附いて短くなるから夫で緑盤が揺くのだ、シタが此の歯車の歯は何の為に附いて居るだろう、更に他の車を廻す為か或いは他の車に廻される為としか思われぬ、爾だ此の歯車の次にズッと小さい歯車が有り、其れから又鎖を引いて、其の鎖の端が横手の石の壁へ繋いで居る。
是は不思議だ、石の壁が動けば兎も角、若し動かぬなら此の鎖も動かぬから小歯車も大歯車も、従っては緑盤も、動き得ぬ筈である、ハテなと思って精密に石の壁を検めると、読めたぞ、読めたぞ、壁の其所が何うやら戸に成って居る様だ、アア時計の音に連れ此の戸が開くのだ、開くからして其れに連れて鎖も大小の歯車も緑盤も皆動くのだ、余は之だけの発明に大なる力を得て、更に綿密に其の辺を検めたが、歯車の割合で考えて見ると緑盤が一尺動くと共に此の壁の石の戸が僅かに三寸しか開かぬ勘定だ、是は聊か心細い、縦しや時計が十二時を打って緑盤が皆開いて了ったとて此の戸は凡そ七寸位しか開かぬ、七寸だけ開いたでは通り脱ける事は出来ず、殆ど何の役にも立たぬが併し秀子が此の室に居ぬからは茲を脱けたに相違なく、猶余の目に見えぬ所に、何等かの仕組が有るに相違ない、十一時の鳴る時には自から合点の行く所も有ろうから夫までに猶篤と検めて置かねば成らぬ。
斯う決心して一入熱心に検めたが此の上は別に合点の行く所もない、唯一つ分ったのは、戸の一方に、半鐘としては小さく呼鈴としては、大きい鳴物が附いて居る、之が時を報ずる鐘であろう、此の鐘も戸の動くと共に鳴るのだ「鐘鳴緑揺」の意味も益々明白に成って来る、シタが此の鐘を打
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