人殺しをさえ目ろむ女が、何事に躊躇する者か、お浦「私も余り恐ろしい事と思い、少しは争いましたけれど、是をせねば秀子に恨みを返す事が出来ぬと云われ、ツイ其の言葉に従う気になり、自分の指環や着物|抔《など》を与えました、高輪田は其の指環や着物を以て死骸を私と見擬《みまが》う様にし、彼の印度の織物に包んで堀の中へ投じました」余「此の様な悪事に賛成するほど秀子が憎いとは貴女も能く能くの因果です、秀子の命を奪わねば到底満足が出来ぬと見えますネ」お浦「でも秀子は当然此の世に住む権利のない人間では有りませんか、之を殺すのは唯の人を殺すとは違い天罰を補うのだと高輪田が云いました、私も成るほどと思いましたけれど今では後悔します、ハイ後悔に堪えねばこそ此の通り何も彼も打ち明けて貴方へ申すのです」
 是だけは嘘らしくない、余ほどの後悔に責めらるるに非ずば仲々斯うまで打ち明ける事はせぬ、余「後悔が遅過ぎましたネ」お浦「本統に遅過ぎました、其の後と云う者は犇々《ひしひし》天罰が自分の身へ落ちて来るのかと思われました、アノ死骸が頓て堀から引き出され、貴方の証言で浦原お浦の死骸ではないと分って、全く高輪田の計略が外れたと知れた時は、私は世界の果てへでも逃げて行き度い程に思い、高輪田に其の心を伝えましたけれど、彼は猶慰めて、まだ様々の工夫が有るのだから、気長く仕揚げまで見て居ろと云い、爾して一方では私へ婚礼を迫りました、初めの中なら無論断りましたけれど、斯うまで彼と共に悪事へ深入りをしては最う断る事は出来ません、殊に彼は二言目には私を嚇かし、妻にならずば此の家へ隠れて居る事を世間へ知らせるの、又は自分へ縋って居ねば再び世間へ顔を出す時は来ぬのと様々の事を云いますから、到頭彼の言葉に従い彼と婚礼する事になりました」
 余「エ、此の様に隠れて居て、能く婚礼が出来ましたネ」お浦「ハイ夫は高輪田が巧みに計らいました、彼は私の姿を変えさせ、引き連れて夜汽車に乗り、此の隣りの州へ行き、矢張り之も賄賂の力で貧しい寺の和尚を説き、婚礼の式を挙げさせ、爾して翌々日の晩に此の土地へ帰って来ました」余「其の様に式まで行うた夫婦なら生涯彼の愛を頼みとする外は有りますまい」
 お浦は益々恨めしげに「エ、エ、彼の愛、彼に愛の心などが有りますものか、彼の目的は唯私を元の通り丸部の養女にして爾して叔父の財産を手に入れるのみに在るのです、彼は叔父さんが秀子の為に遺言状を作らぬ先に事を運ばねば了けぬから夫で当分は丸部家へ入り込んで居ねば成らぬと云い、私の許へは帰っても来ぬほどです、私は一人此の室に居て彼の心を考え、次第に恐ろしくなりまして、今では何うしたら宜かろうと唯途方に暮れて居るのです」
 余は是だけ聞いて殆ど目の醒めた想いがした、今まで高輪田長三を何となく怪しい奴とは睨んで居たが斯うまでの悪人とは思わなんだ、是で見ると過る頃から幽霊塔に引き続いた不思議の数々は悉く彼の仕業である、余の怪我も彼、お浦の紛失も彼、怪しの死骸も彼、シテ見れば叔父を毒害する者も彼に違いない、爾だ彼は叔父を殺して其の疑いを秀子に掛けさえすれば、丸部家の財産は、少くとも半分までお浦の物に成ると信じて居る、夫が為に幽霊塔へ詰め切って居るのである、夫が為に此の際疾《きわど》い場合に於てお浦を自分の妻にしたのである、猶此の上に叔父が秀子の為に先頃作った遺言状まで盗んで揉み消して了う積りで居るに違いない、是ほどの悪事を今まで察し得なんだとは我ながら愚の至りである。
 是で見ると彼は生得の大悪人だ、人間の皮を着た本統の悪魔である、幽霊塔へ来ぬ以前とても定めし悪事のみを為して世を渡って居た者に違いないと、余は知らず知らず以前の事まで遡って考えるに連れ、又大変な事を暁《さと》り得た、今の秀子、即ち其の頃の夏子が殺したと為って居るお紺婆の殺害者も若しや彼では有るまいか、叔父を毒害して其の疑いを秀子に被せようとする今の所行と、養母を殺して其の罪を夏子に着せた其の時の行いと何の相違が有る、正しく同じ人の心に出て、同じ人の手に成った、同一の事柄である、爾だ、愈々爾だ、昨夜権田時介も現に本統の罪人は此の人だと指示《さししめ》す事が出来ると云った、其の本統の罪人が此の高輪田長三でなくば、何うして此の人と指示す事が出来よう、エエ知らなんだ、知らなんだ。

第百二回 毒薬か、ハイ

 お紺婆を殺したのが果たして高輪田長三だと云う事は、別に証拠の有る訳ではない、けれど余はそう感ずる、只感ずる丈では何の当てにも成らぬとは云え、宛も磁石が北の方を感ずる様に、天然自然に感ずるので、之に間違いが有ろうとは思われぬ。
 何故此の感じが最っと以前に起こらなんだで有ろう、切《せめ》て今一日早かったなら、秀子を権田時介に救わせずして自分で救う事の出来た者を、縦しや
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