に一入不思議ならしむる最も異様な事を発見した、読者は是からして余が検査官に答える言葉を真実心の底から発する者とは思い得ぬかも知れぬ、けれど全くの真実で有る、余は思うままを知るままを答えるのである、余が再び検査官に向って、第一に答えた言葉は「此の死骸は誰のであるか少しも認めが附きません」と云うに在った、検査官は疑いを帯びた様子で「是までの証人等は其の方の前の許婚浦原浦子の死骸だと認めて居るが其の方は爾は思わぬか」余「爾う認めた証人等の認め違いです、私は断言します、此の死骸は決して浦原浦子の死骸では有りません」
第四十一回 自らさえ嘘の様に
此の死骸がお浦の死骸でないと云う事は、余自らさえ嘘の様に思う、お浦の着物を着、お浦の指環をはめ、此の家の一品たる卓子掛けに包まれて居て、爾してお浦でないなどは、理に於いて有られもなく思われる、けれどもお浦でない、余は確かにお浦でない証拠を見出した。
勿論検査官は驚いた、陪審員も驚いた、満場誰一人驚かぬ者はないと云っても好い程だ、検査官は暫く考えた末、余に向い「何故にお浦でないと認めるか」と問うた、余は明細に説明した。昔余が十二三の頃、叔父が余とお浦とを連れてシセックと云う土地へ避暑に行った事がある、其の時お浦は余と共に土地の谷川へ這入って居て(勿論跣足で)足の裏へ甚い怪我をした事がある。其の頃は其の谷川の上手の山から石を切り出して居たので、切石の屑片《かけら》が川の底に転って居てお浦は運悪く其の角を踏んで辷ったのだ、何でも足の裏を一寸ほども切った、其の傷が生長してまで残って居たのみか、足が育つと共に創の痕も育ち、殆ど二寸程の痕になって居るとは、今より余り遠くもない以前に余とお浦と幼い頃の昔話をして居てお浦が余に話した所である、然るに此の死骸の足の裏には毛ほどの創の痕もないのだ。
是よりも猶確かな証拠は、お浦が十六七の時で有った、余は自分の懇意な水夫に繍身《ほりもの》の術を習い自分の腕へ錨の図を繍って入墨した、お浦は羨ましがり自分の腕へも繍って呉れと云うから、余は其の望みに従い、お浦の手の腋に隠れる辺へ草花を繍って遣った、尤も之は唯外囲いの線を繍った丈で、後で痛くて耐えられぬと云うから彩色せずに止したけれど其の線へは墨だけ入れて置いた、最も去年の夏と思う、お浦が夕衣《いぶにんぐどれす》を着けて居るとき余は其の草花の外囲いが歴々《ありあり》と存《のこ》って居るのを見た、殊に余のみではなく、お浦の知人中には折々之を見た人が有ろう、根西夫人なども確かに其の一人だ、所が此の死骸の腕には何の繍身もない。
余が此の二カ条を言い立てると検査官は驚き、直ぐに又叔父を呼び出して、尋問したが叔父も足の裏の大創の事は覚えて居た、次に根西夫人を呼び出して又尋問したが夫人も成るほど浦原嬢の腕に繍身が有って夕衣を着て居る時には何うかすると見えた事を今思い出したと陳べた。
畢竟するに余が此の死骸を斯うまで検める事に成ったのは、唯、入口で医師が「三十位」と探偵に細語くのを洩れ聞いた為である、誰も彼も死骸の事にのみ気を奪われて居る際ゆえ「三十位」と云うのは死骸の事に違いないが、扨死骸の何が三十位であろう、或いは其の年齢では有るまいか、果たして年齢とすれば若しやお浦と別人ではなかろうかと此の様な疑いが一寸と浮かんだ、若し此の言葉をさえ洩れ聞かなんだら、一も二もなくお浦と思い、二ケ条の事柄さえ殆ど思い出さずに終ったかも知れぬ。
読者は何と思うか知らぬが此の死骸がお浦でないとすれば実に大変な事になる。
第一にお浦の消滅に関する今までの探偵は全く水の泡に帰し、お浦の行衛《ゆくえ》、お浦の生死は依然として分らぬのだ、第二に此の死骸、当人は誰か、何の為に斯くも無惨な目に逢わされたかと云う疑いが起る、第三には此の女が何でお浦の着物をき、お浦の指環まではめて居るかとの不審が起る。
第三の不審は実に重大だ、此の死骸へお浦の着物を被せるには、お浦を捕えて着物や指環を剥ぎ取った者があるか、左なくばお浦自らが自分の着物や指環を脱ぎ、此の者に着せたに違いない、着せて置いて殺したのか、殺した後で着せたのか、孰れにしても奇中の奇と云う者だ。
併し其の辺は先ず捨て置いて、何の為に斯様な事が出来たであろう、目的なしにお浦の着物を他の女へ着せ、堀の底へ沈めるなどと云う筈はない、何でも此の死骸と見せ掛けて人を欺き度いと云う目的に違いない、夫なら何故に人を欺き度いのであろうか、第一はお浦が死んだ者と見せ掛けて置いて、お浦自身が遠く落ち延びるとか或いは何か忍びの仕事をするとか云う目的ではあるまいか、第二には若しやお浦が死んだ様に粧い、人殺しの嫌疑を誰かに掛けると云う魂胆《こんたん》では有るまいか、若し其の魂胆とすれば、秀子を憎む者の所為に違いない、
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