か縦しや世界の果てまで逃れても生涯安心の時はないと、権田の言葉が其のまま胸に浮んで見ると、茲で情ある言葉を掛けるは決して秀子の為ではなく却って其の仇に成ると云う者、真に秀子を愛するならば、邪慳に余所々々しく突き放して了わねば成らぬ、と忽ち斯う思って余は秀子の手を投げ捨てる様に放して了った、何たる人を馬鹿にした仕打ちと見えるだろう、秀子若し心が落ち着いて居て、余が斯く毒蛇でも捨てる様に秀子の手を投げ捨てた仕打ちに気が附いたなら是切りで心底から余に愛想を盡すだろう、イヤ昨夜より既に愛想を盡して居るけれど、更に其の上に生涯の敵だとまで余を憎み賤むに至るであろう、余の地位の辛さも決して秀子に劣りはせぬ。
第百十一回 密旨の一部分
秀子は心の騒いで居る際ゆえ、余が毒蛇でも捨てる様に其の手を放した振舞には気の附かぬ様子である、之だけは有難い、けれど其の手の放されたを幸いに早や立ち去ろうと身構えて居る。
余は厳重な言葉で「秀子さん命を捨てるの身を隠すのと少しも其の様な事をするに及びません」と云いつつ、秀子が置いて有った彼の毒薬の瓶を手早く取り上げ、自分の衣嚢へ隠して了った、秀子は其れと見たけれど強いて取り返そうともせず、唯何か合点の行かぬ様に考え「オヤ私は――貴方の来る前に何で其の薬を呑まなんだでしょう、貴方の来た時私は何様な事をして居ました」と問うた。
成ほど是だけは余も合点が行かぬ、余の来る前に何故に毒薬を呑まなんだで有ろう、毒薬を呑まぬ者が何故死人同様の有様で茲へ倒れて居ただろう、秀子は漸く思い出したと見え「アア分りました、瓶を取り出したけれど、此の世を去る前に、神に祈り此の身の未来を捧げねば成らぬと思い、長い間祈って居ました、爾して愈々と其の瓶を取り上げた時に、恐ろしい電光が差し込み、此の室まで昼の様に明るく成ったと思いました」如何にも、余が塔の時計の中から、遙の真下に此の室の石段を窺き得たのと同じ時で有ったに違いない。
秀子「其の時限り何うしたのか、私は何事もおぼえませんでした」
扨は其の時電気に感じて忽ち気を失って居たのである、直接に電気に打たるれば即死し、打たれる迄に至らずして震撼せらるれば気を失うこと、外にも例の有る所である。
其れにしても実に不思議と云わねば成らぬ、丁度毒薬を呑む間際に気を失い、余が助けに来た時まで、毒薬をも呑まず何事をも知らずに
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