分の持って居る蝋燭を其の手燭の上に立てた、猶見れば秀子の頭の辺に当り極小さい瓶がある、之が千艸屋から買って来た毒薬に違いない、既に之を呑んだであろうかとは第一に余の心に起った疑問だが、有難い未だ呑んだ者ではなく、瓶の口も其の儘なら中の薬剤《くすり》も其のままである。
 余は自分の体温を以て秀子を温め活す程に両手を以て死人同様の其の体を抱き上げた、オヤオヤ手先の様に身体は冷えて居ぬ、通例の人の温さも有れば何だか脈なども打って居るようだ「秀子さん、秀子さん」穏かに呼んで見ると、秀子は薄く目を開き、聞えるか聞えぬか分らぬ程の細い声で、全くの独語の様に「茲は死んだ後の世界か知らん」と呟いた、余は此の様に身も魂も溺れる程の愛情が湧き起り、充分親切な言葉を以て慰めて遣り度く思ったけれど、悲しや権田時介との堅い約束が有って、露ほども情の有る親切な言葉を掛けては成らぬ、アノ約束の辛い事が今更のように浸々《しみじみ》と身に徹《こたえ》たけれども仕方がない、唯当り前の言葉を以て「イイエ死んだのでは有りません、私が助けに来て、ヤッと間に合ったのです、茲は未だ此の世です」聞えは聞える様だけれど猶半ばは独言で「未だ死なぬ、其れは――其れは大変です、何うしても死なねば成りません、皆なの為に」と呟いた。
 夢寐《むび》の間にも此の語を吐くは如何に思い決して居るかが分る、殊に「皆なの為」の一言は実に秀子の今の辛い境遇を説明して余り有るのだ、其の身に懸る二重の汚名が、到底雪ぐ可き由はなくして其の筋に捕わるれば自分のみか此の家の家名にも、続いては物の数ならぬ余の名前にまでも障る訳だ、四方八方へ気を兼ねて終に死ぬる一方と決心したのは全く余が見て取った通りである、余は熱心ならじとすれば熱心ならぬ訳には行かぬ「イイエ秀子さん、死ぬるには及びません、貴女の濡衣は全く晴れました、ハイ一切の疑いが無実であったと云う事を証拠立ることも出来ます、だから私は其の事を貴女へ告げに来たのです」
 秀子は初めて人心地に返った様で、怪しげに四辺を見廻したが、漸く我が地位を思い出したと見え「アア分りました、茲は猶だ塔の底でしたか、けれど何して貴方が茲へ来る事が出来ました」問う声は依然として細いけれど余ほど力は附いて来た、余「ハイ何うしてとて、貴女の行く先も目的も凡そ推量が附きましたから後を追っ掛けて来たのです、ハイ貴女が茲へ来た
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