ゃ》も真似する事が出来ず画工も彫刻師も写す事の出来ぬ宏壮な優妙な所の備わって来ると云ってある、此の秀子の事が正しく其の宏壮な優妙な所の備わった者ではあるまいか、人を殺し牢を破る様な女が、私慾を離れて良心の満足を求めるなどとは余り不似合に思われもするけれど、何う見ても宏壮で爾して優妙である、悪心などは一点も現れて居ぬ。
 若し、一点だも此の顔に悪意悪心の認む可き所が有ったら、余は何れほど安心したかも知れぬが、唯一点も其の様の所のない為に全身を切り刻まれる様な想いがした、何うして此の女を思い切ることが出来よう、此の女の外には世に「清い」と云う可き者はない、罪あっても罪に染《そ》む顔でない、汚れても汚れはせぬ、之に悪人悪女の様に思うては罰が当るとは、殆ど空|畏《おそろ》しい程に思い、腹の底から「オオ秀子さん許して下さい、私は今と云う今、自分の不実、自分の愚かさを思い知りました」と我知らず打ち叫んで、再び権田を跳ね退けて、秀子の身に縋り附こうとすると、権田は猶も強情に遮って「丸部さん、今更何と後悔しても及びません、其の証拠には、コレ之を御覧なさい」と云いつつ、秀子の左手を取って、其の長い手袋を脱《はず》し爾して手首の所を露出《むきだし》にして余に示した、示されて余は見ぬ訳に行かぬ、見たも見たも歴々《ありあり》と見たのだが、是こそは秀子が生涯の秘密として今まで堅く人に隠して居た旧悪の証跡である、お浦が秘密を見届けたと叫んだも之であろう、高輪田長三が曾て夏子の墓の辺で秀子の手を取り争うて居たのも此の証跡を見ん為で有っただろう、証跡とは他ではない、お紺婆が臨終の苦痛に噛み附いたと云う歯の痕である、肉は死骸の口に残り、生涯不治の痕を遺したと幾度か人の話に聞いて居る、見れば全く骨までも達した者で、三日月形に肉が滅して最とも異様に癒え上って居る、余は二目と見る勇気がない、権田時介は余の顰《しか》む顔を見て「ソレネ、是が貴方と秀子とを離隔する遮欄《しゃらん》です、それに反して私は、之がなくば秀子を我が物とする事が出来なんだかと思い之を月下氷人とも崇め做すのです」と云いつつ其の手を取り上げて熱心に其の傷の所に接吻した、余はゾッと身の震うを制し得ぬ。

第八十八回 逃れる工夫を

 三日月形の創の痕を甞め廻して、権田は聊か心が沈着《おちつ》いたのか、余り気狂いじみた様子も見えなくなった、静か
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