のみ聞いて何れほどか辛く感じたであろう、定めし居|耐《たた》まらぬ想いをしたに違いない、いま物音をさせたのも余りの事に聞きかねて気絶しかけ、身の中心を失って蹌踉《よろめ》いた為ではあるまいか、何うも其の様な音であった。
斯う思って見ると、秀子は全く身を支えかね、今や仆《たお》れんとする様である、其の顔色の青い事其の態度の力なげに見ゆる事は本統に痛々しい、仆れもせずに立って居られるが不思議である。
秀子の眼は余の顔に注いで居るか権田時介の顔に注いで居るか、寧ろ二人の間の空間を見詰めて爾して目ばたきもせずに居る、アア早や半ば気絶して居るのだ、気が遠くなって、感じが身体から離れ掛けて居るのだ。
余が斯う見て取ると同時に其の身体は横の方へ傾いて、宛も立木の倒れる様に、床の上へ※[#「※」は「てへん+堂」、156−上9]《どう》と仆れた、余は驚いて馳せ寄ったが、余よりも権田の方が早く、手を拡げて余を遮り「可けません、可けません、貴方は今自分の口で明らかに秀子を捨てて了いました、秀子の身体に手を触れる権利はないのです、介抱は私が仕ますから、退いてお出でなさい」嫉妬の所為だか将た発狂したのか権田は全く夢中の有様で、秀子を抱き起して一方の長椅子の上へ靠《もた》れさせた。
見れば秀子は左の前額《ひたい》に少しばかり怪我をして血が浸《にじ》んで居る、仆れる拍子に何所かで打ったのであろう、余は手巾を取り出し、其の血を拭いて遣ろうとするに、之をも権田が引っ奪《たく》って自分で拭いて遣った、全く此の男の恋は野蛮人の恋であると、余は此の様に思いながら熟々と秀子の顔を見たが、真に断腸の想いとは此の事であろう、其の美しい事は今更云う迄もないが、美しさの外に、汚れに染まぬ清い高貴な所が有る、世に美人は幾等も有ろうが斯くまで清浄に見ゆる高貴な相は又と有るまい、顔を何の様に美しくするとも将た醜くするとも、此の何とのう高貴に感ぜられる所だけは取り除ける事も出来ず、附け添える事も出来ぬ、本統に心の底の清い泉から自然に湧いて溢れ出る無形の真清水とも云う可きである。
或る人の説に相《そう》は心から出る者で、艱難が積れば自ら艱難の相が現れ悪事が心に満つれば、顔の醜美に拘わらず自ら悪相と為り、又善事にのみ心を委ね、一切の私慾を離れて唯良心の満足をのみ求めて居る人は、自ずから顔に高貴の相が出来、俳優《やくし
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