し抜けに秀子の左の手へ飛び附き、手首を捕えて其の手袋を引き抜こうとしたらしい、秀子「余り乱暴な事をなさる」お浦「ナニ乱暴も何も有りません」と云って、何だか組み打ちでも始めた様に、暫し床板を踏み鳴らす音が聞こえる、余はお浦の憎さに堪えぬ、起って行って叩き殺し度いほどにも思うが、身動きさえも叶わぬから如何ともする事が出来ぬ、併し組み打ちも少しの間で、何しろ不意を襲うた事とてお浦の勝利に帰したと見え、お浦は「オー抜き取った、貴女の秘密は此の手に在ります」と勝ち誇る様に叫んだが、此の手とは定めし秀子の左の手の事で有ろう、秀子の左の手に何の秘密が有ったか知らぬがお浦は其の秘密に一方ならず驚いた様子で又一声「オオ恐ろしい、恐ろしい、此の様な此の様な」と云ったまま、後の語を発し得ぬ。

第三十一回 悔むとも帰らぬ目

 秀子の左の手の手袋の下に何が隠れて居たであろう、お浦は何の様な秘密を見たのであろう、余は実に怪しさの想いに堪えぬ。
 暫くしてお浦は全く敵を我が手の中に取り押えたと云う口調で「此の秘密を見届けたからは秀子さん貴女は最う死骸も同様です、私に抵抗する事も出来ず、イイエ娘分として此の家に居る事さえ出来ますまい、何れ緩々《ゆるゆる》と叔父にも道さんにも此の秘密を話して驚かせて遣りましょう」と憎々しく云うた、秀子は必死の声で「ハイ話すに話されぬ様にして上げます」と云って、遽しく室の中を馳せ廻る様子だ、何の為かと思ったら全く室の出口出口の戸を悉く閉め切ってお浦を此の室より外へ出さぬ為であった、総ての戸に或いは錠を卸し或いは閂木《かんぬき》を施すなどの音が聞こえた、頓て秀子は「サア是で出たくとも出られません」お浦「貴女の出る時に一緒に出て行く迄の事です」秀子「一緒には出しません。此の秘密を見られた上は、貴女が決して口外せぬと云う誓いを立てねば」お浦「其の様な誓いが立てられますものか、私は口外せずには居られません」秀子は物凄いほど熱心な声と為って「貴女が口外なさらずとも、私は自分の密旨を果しさえすれば自分から誰にでも知らせます、それ迄の所は何の様な事をしてでも貴女の口を留めて了います、サア私が言葉を授けますから其の言葉通りにお誓い為さい、誓いなされなければ幾等破ろうとて破る事が出来ません、破れば生涯貴女の身に恐ろしい不幸が絶えません」秀子が何の様にして居るかは知らぬが、お浦は聊か
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