様な返事は出来ません」お浦は恨めしげに「私は、斯まで貴方に嫌われる様な厭な女でしょうかネエ、あの高輪田さんなどは、私の外に女はない様に云い蒼蝿《うるさ》く縁談を言い込みますのに」余「夫は爾でしょうとも、貴女は立派な美人ですもの、余所へ心の傾いて居ぬ人なら必ず貴女に心を寄せますよ」お浦は忽ちに怒って立ち上り「分りました、余所へ心の傾いて居ぬ内なら承知も仕ようが己は最う松谷秀子を愛して居るからお前の言葉は聴き入られぬと、斯う仰有るのですね」余「そう云うのとも違いますけどナニそうお取り成さっても大した間違いは有りません」お浦は大声に「エ、悔しい、あの怪美人めが人の所天《おっと》を偸んで了った」と叫び、身を掻きむしる様にして、悶き悶き窓の許へ走って行って、窓から外へ飛び出して庭の面を遠く、堀の方へ馳せ去った、定めし身を投げるかの様に見せ掛けて、余に走り出させて留めさせ度いと云う狂言だろうが、今まで散々お浦の狂言に載せられた余だもの、最う其の手を喰うものか、余は邪魔者を追っ払った気で其のまま次の室へ入り、散らホって居る本箱の間を潜り、先ず壁の際に在るのから順に調べる積りで、但《と》ある本箱の横手へ蹐《しゃがん》だが、此の時壁の中からでも剣が突き出た様に、忽ち余の傍腹を斜めに背後の方から衝《つき》刺したものがある、余は咄嗟の間にそうまでも思い得なんだけれど不意に傍腹へ鋭い痛みを感じ、其の所へノメッて了った、傷は爾まで甚いとも思わぬけれど、切口は宛で火の燃る様に熱く痛い、爾して殊に奇妙なは、助けを呼び度くも声が出ぬ、傷口を押え度くても手が動かぬ、手ばかりでなく足も胴もイヤ身体じゅう一切の感じが麻痺したと見え、倒れたままで少しの身動きさえも出来ぬ。

第三十回 此の様な、此の様な

 余は何故に、何者に、斯くは刺されたのであろう、是既に容易ならぬ疑問であるが、是よりも猶怪しいは余が創《きず》の小さい割合に痛みが強く、爾して其の痛みの為に全身が痺《しび》れて了った一事である。人の身体が、斯も痺れる者とは今まで思い寄らなんだ、声の出ぬのは勿論の事、瞼までも痺れて仕舞い目を開き度くとも開く力さえなく、強いて開こうとしても瞼が直ぐに弛く垂れて眼を蔽うて了い、唯|辛《ようや》くに糸ほど細く開いた間から外の明りを見るに過ぎぬ。
 曾て或る書物で読んだ事がある、印度の或る部落に住む土人が妙な草の
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