と洋書を独りで読んだ様な理屈を並べるから是も得意の論理学とか云う者で割出して見るが好いアハヽヽ何と爾《そう》では無いか」大鞆は心中に己れ見ろと云う如き笑《えみ》を隠して故《わざ》と頭を掻き「夫《それ》は爾《そう》だけどが書物で読むのと実際とは少し違うからナア小説などに在る曲者は足痕が残ッて居るとか兇器を遺《わす》れて置くとか必ず三ツ四ツは手掛りを存《のこ》して有るけどが是ばかりは爾《そう》で無い、天《てん》きり殺された奴の名前からして世間に知て居る人が無い夫《それ》だから君何所から手を附けると云う取附《とっつき》だけは知《しら》せて呉れねば僕だッて困るじゃ無いか(谷)其取附と云うのが銘々の腹に有る事で君の能《よ》く云う機密とやらだ互いに深く隠して、サアと成る迄は仮令《たと》え長官にも知《しら》さぬ程だけれど君は先ず私《わし》が周旋で此署へも入《いれ》て遣《やっ》た者では有《ある》し殊に是が軍《いくさ》で言えば初陣の事だから人に云われぬ機密を分けて遣る其所の入口を閉《しめ》て来たまえ(大)夫や実に難有《ありがた》い畢生《ひっせい》の鴻恩《こうおん》だ」谷間田は卓子《ていぶる》の上の団扇《うちわ》を取り徐々《しず/\》と煽ぎながら少し声を低くして「君先ず此人殺しを何と思う慾徳尽《よくとくずく》の追剥と思うか但しは又―(大)左様サ持物の一ツも無い所を見れば追剥かとも思われるし死様の無惨な所を見れば何かの遺恨だろうかとも思うし兎に角|仏国《ふらんす》の探偵秘伝に分り難き犯罪の底には必ず女ありと云ッて有るから女に関係した事柄かとも思う(谷)サ、爾《そう》先《さき》ッ潜りをするから困る静《しずか》に聞《きゝ》たまえな、持物の無いのは誰が見ても曲者が手掛りを無くする為に隠した事だから追剥の証拠には成らぬが、第一傷に目を留たまえ傷は背《せな》に刀で切《きっ》たかと思えば頭には槌で砕いた傷も有る既に脳天などは槌だけ丸く肉が凹込《めりこ》んで居る爾かと思えば又所々には抓投《かなくっ》た様な痕も有る(大)成るほど―(谷)未だ不思議なのは頭にへばり附て居る血を洗い落して見た所頭の凹込んで砕けた所に太い錐《きり》でも叩き込んだ様な穴も有るぜ―君は気が附くまいけれど(大)ナニ気が附て居るよ二寸も深く突込んだ様に(谷)夫なら君アレを何で附けた傷と思う(大)夫は未だ思考《かんがえ》中だ(谷)ソレ分るまい分らぬならば黙ッて聞く可しだ、私《わし》はアレを此頃流行るアノ太い鉄の頭挿《かんざし》を突込んだ者と鑑定するが何《ど》うだ」大鞆は思わずも笑わんとして辛《やっ》と食留《くいと》め「女がかえ(谷)頭挿《かんざし》だから何《ど》うせ女サ、女が自分で仕なくても曲者が、傍に落て居るとか何うとかする女の頭挿を取て突《つい》たのだ孰《いず》れにしても殺す傍《そば》には女びれが居たは之で分る(大)でも頭挿の脚は二ツだから穴が二ツ開《あ》く筈だろう(谷)馬鹿を言い給え、二寸も突込《つきこも》うと云うには非常の力を入れて握るから二ツの脚が一ツに成《な》るのサ(大)一ツに成《なっ》ても穴は横に扁《ひら》たく開く筈だ、アノ穴は少しも扁たく無い満丸《まんまる》だよシテ見れば頭挿で無い外の者だ」谷間田は又茶かす如く笑いて「爾《そう》気が附くは仲々感心|是《これ》だけは実の所ろ一寸《ちょっ》と君の智恵を試して見たのだ」大鞆は心の底にて「ナニ生意気な、人を試すなどと其手に乗る者か」と嘲り畢《おわ》ッて「夫《そん》なら本統《ほんとう》の所ろアレは何の傷だ(谷)夫は未だ僕にも少し見込が附かぬが先《まあ》静かに聞く可し、兎に角斯う種々様々の傷の有る所を見れば、好《よい》かえ能《よ》く聞《きゝ》たまえ、一人で殺した者では無い大勢で寄て襲《たか》ッて殺した者だ(大)成る程―(谷)シテ見れば先ず曲者は幾人《いくたり》も有るのだが、併し寄て襲ッて殺すには何うしても往来では出来ぬ事だ(大)夫《そり》ゃ何《ど》う云う訳で(谷)何う云う訳ッて君、聞たまえよ(大)又聞たまえか(谷)イヤ先《まあ》聞たまえ、往来なら逃廻るから夫を追掛ける中には人殺し人殺しと必ず声を立《たて》る其中《そのうち》には近所で目を醒すとか巡査が聞附るとかするに極って居る(大)夫では野原か(谷)サア野原と云う考えも起る併し差当り野原と云えば日比野《ひゞや》か海軍原だ、日比谷から死骸をアノ河岸まで担いで来る筈は無し、又海軍原でも無い、と云う者は海軍原へは矢鱈《やたら》に這入《はいら》れもせず、又隅から隅まで探しても殺した様な跡は無し夫に一町ばかり離れた或家の塀に血の附て居る所を見ても海軍原で殺して築地三丁目の河岸へ捨るに一町も外《ほか》へ舁《かつい》で行く筈も無《なし》(大)夫では家の内で殺したのか(谷)先《まあ》聞たまえと云うのに、爾《そう
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