相○顔|面長《おもなが》き方《かた》○口細き方眉黒き方目耳尋常左りの頬に黒|痣《あざ》一ツあり頭《かしら》散髪|身長《みのたけ》五尺三寸位中肉○傷所数知れず其内大傷は眉間に一ヶ所背に截割《たちわり》たる如き切傷二ヶ所且肩より腰の辺りへ掛け総体に打のめされし如く膨上《はれあが》れり左の手に三ヶ所、首に一ヶ所頭の真中に大傷其処此処に擦傷《かすりきず》等数多あり、咽《のど》に攫《つか》み潰せし如き傷○衣類大名縞|単物《ひとえもの》、二タ子唐桟《ことうざん》羽織但紐附、紺博多帯、肉シャツ、下帯、白足袋、駒下駄○持物更に無し○心当りの者は申出ず可し
[#ここで字下げ終わり]
[#天から4字下げ]明治二十二年七月六日
[#天から8字下げ]最寄区役所
[#地から2字上げ](右某新聞より転載)
 人殺しは折々あれど斯くも無惨な、斯くも不思議な、斯くも手掛《てがゝり》なき人殺しは其類少し去れば其日一日は到る所ろ此人殺しの噂ならぬは無《なか》りしも都会は噂の種の製造所なり翌日は他の事の噂に口を奪われ全く忘れたる如し独り忘れぬは最寄《もより》警察の刑事巡査なり死骸の露見せし朝の猶お暗き頃より心を此事にのみ委《ゆだ》ね身を此事にのみ使えり、心を委ね身を使えど更に手掛りの無きぞ悲しき
 刑事巡査、下世話《げせわ》に謂う探偵、世に是ほど忌《いま》わしき職務は無く又之れほど立派なる職務は無し、忌わしき所を言えば我身の鬼々《おに/\》しき心を隠し友達顔を作りて人に交り、信切顔《しんせつがお》をして其人の秘密を聞き出し其《そ》れを直様《すぐさま》官に売附けて世を渡る、外面《げめん》如菩薩《にょぼさつ》内心|如夜叉《にょやしゃ》とは女に非ず探偵なり、切取強盗人殺牢破りなど云える悪人多からずば其職繁昌せず、悪人を探す為に善人を迄も疑い、見ぬ振をして偸《ぬす》み視《み》、聞かぬ様をして偸み聴《きく》、人を見れば盗坊《どろぼう》と思えちょう恐《おそろし》き誡めを職業の虎の巻とし果は疑うに止《とま》らで、人を見れば盗坊で有れかし罪人で有れかしと祈るにも至るあり、此人|若《も》し謀反人ならば吾れ捕えて我手柄にせん者を、此男若し罪人ならば我れ密告して酒の代《しろ》に有附《ありつか》ん者を、頭に蝋燭は戴《いたゞ》かねど見る人毎を呪うとは恐ろしくも忌わしき職業なり立派と云う所を云えば斯くまで人に憎まるゝを厭わず悪人を看破《みやぶ》りて其種を尽し以て世の人の安きを計る所謂《いわゆる》身を殺して仁を為す者、是ほど立派なる者あらんや
 五日の朝八時頃の事最寄警察署の刑事巡査詰所に二人の探偵打語らえり一人は年四十頃デップリと太りて顔には絶えず笑《えみ》を含めり此笑見る人に由りて評《うわさ》を異にし愛嬌ある顔と褒《ほ》めるも有り人を茶《ちゃ》かした顔と貶《そし》るも有り公平の判断は上向けば愛嬌顔、下へ向《むい》ては茶かし顔なる可《べ》し、名前は谷間田《たにまだ》と人に呼ばる紺飛白《こんがすり》の単物《ひとえもの》に博多の角帯、数寄屋《すきや》の羽織は脱ぎて鴨居の帽子掛に釣しあり無論官吏とは見えねど商人とも受取り難し、今一人は年廿五六小作りにして如才《じょさい》なき顔附なり白き棒縞の単物|金巾《かなきん》のヘコ帯、何《ど》う見ても一個の書生なれど茲《ここ》に詰居る所を見れば此頃谷間田の下役に拝命せし者なる可し此男テーブル越《ごし》に谷間田の顔を見上げて「実に不思議だ、何《ど》う云う訳で誰に殺されたか少しも手掛りが無い」谷間田は例の茶かし顔にて「ナニ手掛は有るけれど君の目には入らぬのだ何しろ東京の内で何家《どこ》にか一人足らぬ人が出来たのだから分らぬと云う筈は無い早い譬《たと》えが戸籍帳を借りて来て一人/\調べて廻れば何所にか一人不足して居るのが殺された男と先《ま》斯《こ》う云う様な者サ大鞆君《おおともくん》、君は是が初めての事件だから充分働いて見る可しだ、斯う云う六《むず》ヶしい事件を引受けねば昇等《しょうとう》は出来ないぜ(大鞆)夫《そ》りゃ分《わか》ッて居る盤根錯節《ばんこんさくせつ》を切《きら》んければ以て利器を知る無しだから六《むず》かしいは些《ちっ》とも厭《いと》ヤせんサ、けどが何か手掛りが無い事にや―先《ま》ア君の見た所で何《ど》の様な事を手掛と仕給うか(谷)何《ど》の様な事と、何から何まで皆手掛りでは無いか第一顔の面長いのも一ツの手掛り左の頬に痣《あざ》の有るのも亦《また》手掛り背中《せなか》の傷も矢張り手掛り先ず傷が有るからには鋭い刃物《はもの》で切《きっ》たには違い無い左《さ》すれば差当り刃物を所持して居る者に目を附けると先《ま》ア云う様な具合で其目の附所《つけどころ》は当人の才不才と云う者君は日頃から仏国《ふらんす》の探偵が何うだの英国《いぎりす》の理学は斯《こう》だの
前へ 次へ
全17ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング