に種々の話をしながら実は己の親類に年の若いのに白髪の有て困って居る者が有《ある》がお前は白髪染粉の類を売はせぬかと問ますと其様な者は売《うら》ぬと云います夫《それ》なら若し其製法でも知ては居ぬかと問ましたら自分は知らぬが自分の親友で居留地三号の二番館に居る同国人が今年未だ四十四五だのに白髪だらけで毎《いつ》も自分で染粉《そめこ》を調合し湯に行く度に頭へ塗るが仲々能く染るから金を呉れゝば其製法を聞て来て遣《やろ》うと云います扨は是こそと思いお前居留地三号の二番と云えば昨日も己は三号の辺を通ったが何でも子供が独楽を廻して居た彼《あ》の家が二番だろうと云いました所アヽ子供が独楽を廻して居たなら夫《それ》に違いは有ません其子供は即ち今云った白髪のある人の貰い子だと云いました夫《それ》より色々と問いますと第一其白髪頭の名前は陳施寧《ちんしねい》と云い長く長崎に居て明治二十年の春、東京へ上り今では重《おも》に横浜と東京の間を行通《ゆきかよ》いして居ると云います夫《それ》に其気象は支那人に似合ぬ立腹易《はらだちやす》くて折々人と喧嘩をした事も有ると云いましたサア是が即ち罪人です三号の二番館に居る支那人陳施寧が全く遺恨の為に殺したのです」荻沢は暫し黙然として考えしが「成る程貴公の云う事は重々尤も髪の毛の試験から推て見れば何うしても支那人で無くては成らず又同じ支那人が決して二人まで有《あろ》うとは思われぬ併し果して陳施寧として見れば先ず清国領事に掛合も附けねばならず兎に角日本人が支那人に殺された事で有るゆえ実に容易ならぬ事件で有る(大)私しも夫《それ》を心配するのです新聞屋にでも之が知れたら一ツの輿論を起しますよ何しろ陳施寧と云うは憎い奴だ、併し谷間田は爾《そう》とは知らず未だお紺とかを探して居るだろうナ
 斯く云う折しも入口の戸を遽《あわた》だしく引開けて入来るは彼の谷間田なり「今陳施寧と云う声が聞えたが何うして此罪人が分ッたか―(荻)ヤヽ、谷間田貴公も陳施寧と見込を附けたか(谷)見込所では無い最《も》うお紺を捕えて参りました、お紺の証言で陳施寧が罪人と云う事から殺された本人の身分殺された原因残らず分りました(荻)夫《それ》は実に感心だ谷間田も剛《えら》いが、大鞆も剛い者だ(谷)エ大鞆が何故剛い―


          下篇(氷解)

 全く谷間田の云いし如くお紺の言立にも此事件の大疑団は氷解したり今お紺が荻沢警部の尋問に答えたる事の荒増《あらまし》を茲に記さん
 妾《わらわ》(お紺)は長崎の生れにて十七歳の時遊廓に身を沈め多く西洋人支那人などを客とせしが間もなく或人に買取られ上海《しゃんはい》に送られたり上海にて同じ勤めをするうちに深く妾《わらわ》を愛し初めしは陳施寧と呼ぶ支那人なり施寧は可なりの雑貨商にして兼てより長崎にも支店を開き弟の陳金起《ちんきんき》と言える者を其支店に出張させ日本の雑貨買入などの事を任《まか》せ置きたるに弟金起は兎角放埓にして悪しき行い多く殊に支店の金円を遣い込みて施寧の許へとては一銭も送らざる故施寧は自ら長崎に渡らんとの心を起し夫《それ》にしてはお紺こそ長崎の者なれば引連れ行きて都合好きこと多からんと終《つい》に妾を購《あがな》いて長崎に連れ来れり施寧は生れ附き甚だ醜き男にして頭には年に似合ぬ白髪多く妾は彼れを好まざれど唯故郷に帰る嬉さにて其言葉に従いしなり頓《やが》て連《つれ》られて長崎に来り見れば其弟の金起と云えるは初め妾が長崎の廓にて勤めせしころ馴染を重ねし支那人にて施寧には似ぬ好男子なれば妾は何時しかに施寧の目を掠めて又も金起と割無《わりな》き仲と無《な》れり去れど施寧は其事を知らず益々妾を愛し唯一人なる妾の母まで引取りて妾と共に住わしめたり母は早くも妾が金起と密会する事を知りたれど別に咎むる様子も無く殊に金起は兄施寧より心広くしてしば/\母に金など贈ることありければ母は反《かえ》って好き事に思い妾と金起の為めに首尾を作る事もある程なりき其内に妾は孰《たれ》かの種を宿し男の子を儲《もう》けしが固より施寧の子と云いなし陳寧児《ちんねいじ》と名《なづ》けて育てたり是より一年余も経たる頃|風《ふ》とせしことより施寧は妾と金起との間を疑い痛《いた》く怒りて妾を打擲《ちょうちゃく》し且つ金起を殺さんと迄に猛りたれど妾|巧《たく》みに其疑いを言解《いいと》きたり斯くても妾は何故か金起を思い切る心なく金起も妾を捨《すて》るに忍びずとて猶お懲りずまに不義の働きを為し居たり、寧児が四歳の時なりき金起は悪事を働き長崎に居ることが出来ぬ身と為りたれば妾に向いて共に神戸に逃行《にげゆ》かんと勧めたり妾は早くより施寧には愛想尽き只管《ひたす》ら金起を愛したるゆえ左《さ》らば寧児をも連れて共に行かんと云いたるに※[#「研のつくり」
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