田に煽起《おだて》を利《きか》せて彼れが探り得たる所を探り得んと茲に来りし者なる可《べ》し去れど谷間田は小使いより聞得し事ありて再び大鞆に胸中の秘密を語らじと思える者なれば一寸《ちょっ》と大鞆の顔を見向き「今に見ろ」と云いし儘《まゝ》、後は口の中にて「フ失敬な―フ小癪な―フ生意気な」と呟《つぶや》きながら彼の石の橋を蹈抜《ふみぬ》く決心かと思わるゝばかりに足蹈鳴して渡り去れり大鞆は其後姿を眺めて「ハテナ、彼奴《きゃつ》何を立腹したか今に見ろと言ふアノ口振《くちぶり》ではお紺とやらの居所でも突留たかなナニ構う者かお紺が罪人で無い事は分ッて居る彼奴《きゃつ》夫《それ》と知らずに、フ今に後悔する事も知らずに―夫にしても理学論理学の力は剛《えら》い者だ、タッた三本の髪の毛を宿所の二階で試験して是だけの手掛りが出来たから実に考えれば我ながら恐しいナア、恐らく此広い世界で略《ほ》ぼ実《まこと》の罪人を知《しっ》たのは己一人だろう、是まで分ッたから後は明日の昼迄には分る、面白い/\、悉皆《すっかり》罪人の姓名と番地が分るまでは先ず荻沢警部にも黙ッて居て、少しも私《わた》しには見当が附ませんと云う様な顔をして散々谷間田に誇らせて置て爾《そう》だ明日の正午十二時にはサア罪人は何町何番地の何の誰ですと明了《めいりょう》に言切ッて遣る愉快愉快併し待《まて》よ唯一通りの犯罪と思ッては少し違う、罪人が何うも意外な所に在るから愈々其名前を打明る日にゃ社会を騒がせるテ、輿論を動かすテ、条約改正の様に諸方で之が為に、演説を開く様になれば差当り己が弁士先ず大井憲太郎君と云う顔だナ―故郷へ錦、愉快/\」大鞆は独り頬笑み警察署へは入らずして其儘又も我宿へブラ/\と帰り去れり
 アヽ大鞆は如何なる試験を為し如何なる事を発明せしや僅か三本の髪の毛、如何なる理学的ぞ如何なる論理的ぞ谷間田の疑えるお紺は果して全くの無関係なるや、疑団又疑団、明日の午後《ひるすぎ》には此疑団如何に氷解するや


          中篇(忖度《そんたく》)

 翌六日の正午、大鞆は三筋の髪の毛を恭《うや/\》しく紙に包み水引を掛けぬばかりにして警察署に出頭し先ず荻沢警部の控所に入れり、折柄警部は次の室《ま》にて食事中なりしかば其終りて出来《いできた》るを待ち突如《だしぬけ》に「長官大変です」荻沢は半拭《はんけち》にて髭の汚《よご》れを拭取りながら椅子に憑《よ》り「唯だ大変とばかりでは分らぬが手掛でも有たのか(大)エ手掛、手掛は最初の事です最う悉皆《すっかり》分りました実《まこと》の罪人が―何町何番地の何の誰と云う事まで」荻沢は怪しみて「何うして分った(大)理学的論理的で分りました而《しか》も非常な罪人です実に大事件です」荻沢は殆ど大鞆が俄《にわか》に発狂せしかと迄に怪しみながら「非常な罪人とは誰だ、名前が分って居るなら先ず其名前を聞《きこ》う(大)素《もと》より名前を言《いい》ますが夫より前に私《わた》しの発見した手続きを申ます、けどが長官、私しが説明して仕舞う迄は此|室《ま》へ誰れも入れぬ事に仕て下さい小使其他は申すに及ばず仮令《たと》い谷間田が帰って来るとも決して無断では入れぬ事に(荻)好々《よし/\》谷間田はお紺の隠伏《かくれ》て居る所が分ったゆえ午後二時までには拘引して来るとて今方出て行たから安心して話すが好い」荻沢は固《もと》より心から大鞆の言葉を信ずるに非ず今は恰《あたか》も外に用も無し且は全く初陣なる大鞆の技量を試さんとも思うにより旁々《かた/″\》其言う儘に従えるなり(大)では長官少し暑いけどが茲等《こゝら》を締《しめ》ますよ昨日も油断して独言を吐《いっ》て居た所ろ後で見れば小使が廊下を掃除しながら聞て居ました、壁に耳の譬えだから声の洩れぬ様にして置《おか》ねば安心が出来ません」と云いつゝ四辺の硝子戸を鎖《とざ》して荻沢の前に居直り、紙包みより彼の三筋の髪毛《かみのけ》を取出しつ細語《さゝや》く程の低き声にて「長官|此《この》髪《け》を御覧なさい是はアノ死人が右の手に握って居たのですよ(荻)オヤ貴公も夫《それ》を持て居るか谷間田も昨日一本の髪を持て居たが(大)イエ了《いけ》ません谷間田より私しが先へ見附たのです、実は四本握って居たのを私しが先へ廻って三本だけソッと抜て置きましたハイ谷間田は夫に気が附きません初めから唯一本しか無い者と思って居ます」荻沢は心の中にて(個奴《こやつ》馬鹿の様でも仲々抜目が無いワえ)と少し驚きながら「夫《それ》から何《ど》うした(大)谷間田は之を縮れ毛と思ってお紺に目を附ました、夫が間違いです若し谷間田の疑いが当れば夫は偶中《まぐれあた》りです論理に叶った中方《あたりかた》では在ません、私しは一生懸命に成て種々の書籍を取出しヤッと髪の毛の性質だけ調べ
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