何にしても藻西太郎の無罪なるを証拠立てねばならず、のみならず現に無罪と思う者が裁判官の過ちや其外の事情の為め人殺しの罪に落さるゝを見、知ぬ顔にて過さる可《べ》きや、余は此事件の真実の転末を知んが為には身を捨《すて》るも可なり職業を捨《すつ》るも惜からずとまでに思いたり、思い/\て夜を明し藻西太郎は確に無罪なりと思い詰《つむ》るに至りしかど又|翻《ひるが》えりて目科の細君が言たる所を考え見れば、余が無罪の証拠と見認《みと》むる者は悉《こと/″\》く有罪の証拠なり細君の言葉は仮令《たと》い目科の評せし如く幾分か「小説じみ」たるに相違無しとするも道理に叶わぬ所とては少しも無し、成るほど藻西太郎は其妻にほだされて伯父を殺すの事情充分あり「之加《しか》も自ら殺せしと白状したり」愈々《いよ/\》彼れが殺せしとすれば成るほど其疑を免るゝ奇策として我名を記《しる》すの外なきなり、我名を記すも老人の右の手を以て記す可からず、唯左の手を以て記すの一方なり、余の疑いは実に粉々に打砕かれたるに同じ、余は殆ど返す可き言葉を知ず、あゝ余は竟《つい》に此詮索を廃す可きか、余の過ちを自認す可きか。
余が殆ど思い屈し
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