うそう》の痕《あと》ありて顔の形痛く損し其|額《ひたい》高きに過ぎ其鼻長きに過るなどは余ほど羊に近寄りたる者とも云う可し、去《さ》れど其《その》眼《まなこ》は穏和げにして歯は白く且《かつ》揃いたり。
 目科は牢に入るよりも大《おおい》に彼れが気を引立んとする如く慣々《なれ/\》しき調子にて「おやおや何うしたと云うのだ、其様に鬱《ふさ》いでばかり居ては仕様が無い」と云い彼が返事を待つ如く言葉を停めしも彼れ更に返事せざれば目科は猶《な》お進み「え、奮発するさ奮発を、これさこれ藻西さんお前も男じゃ無いか、私《わし》が若《も》しお前なら決して其様に凋《しお》れては居無いよ、男の気象《きしょう》を見せるのは此様な時だろう、何でお前は奮発せぬ、茲《こゝ》で一つ我身に覚えの無い事を知せ判事や警察官に一泡《ひとあわ》吹せて呉《くれ》ようじゃ無いか」実に目科は巧なり彼れが言葉には筆に尽せぬ力あり妙に人の心を動かすに足る、余若し罪人ならば唯《たゞ》彼れの一言に奮い起き仮令《たと》い何れほどの疑いに囲まれようとも其の疑いを蹴散して我身の潔白を知せ呉れんと励み立つ所なり、爾《さ》は云え目科は気も気に非ず、此一
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