色見えしに、実際なる此人殺しの寝室《ねま》の内には取散したる跡を見ず老人の日頃不自由なく暮し而《しか》も質素を旨《むね》として万事に注意の普《あまね》き事は是《これ》だけにて察せらる、寝床及び窓掛を初め在ゆる品物に手入|能《よ》く行届き塵《ちり》も無ければ汚れも見えず、此老人の殺されしは必ず警察官及び判事等の推量せし通り昨夜の事なりしならん、其証拠とも云う可《べ》きは寝床の用意既に整い、寝巻及び肌着ともに寝台の傍《わき》に出《いだ》しあり猶《な》お枕頭《まくらもと》なる小卓《ていぶる》の上には寝際《ねぎわ》に飲《のま》ん為なるべく、砂糖水を盛《もり》たる硝盃《こっぷ》[#ルビの「こっぷ」は底本では「こっぶ」]も其儘《そのまゝ》にして又其横手には昨日の毎夕新聞一枚と外《ほか》に寸燐《まっち》の箱一個あり、小棚の隅に置きたる燭台は其蝋燭既に燃尽《もえつく》せしかど定めし此犯罪を照したるものならん、曲者は蝋燭を吹消さずに逃去りしと見え燭台の頂辺《てっぺん》に氷柱《つらゝ》の如く垂れたる燭涙《しょくるい》は黒き汚れの色を帯ぶ、個《こ》は蝋燭の自から燃尽すまで燃居《もえい》たるしるしなり。
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