け》りながら生涯人に知《しら》れずして操堅固と褒《ほめ》らるゝ貴婦人も少なからず、物を隠すには男子も遙に及ばぬほど巧なるが凡て女の常なれば倉子も人知れず如何なる情夫を蓄《たくわ》うるや図られず、若し情夫ありとせば其情夫誰なるや、如何にして見破るべきや。
是れ実に難中の至難なり、余は及ぶだけ工夫せし末「何うだ目科君、倉子へ見え隠れに探偵一人を附けて置ては、え君、必ず此犯罪の前に情夫と打合せて有るのだから当分其情夫が此辺へ尋ねて来る事は有るまいけれど、女と云う者は心も細く所天が牢に入られ、其筋からも時々《しば/\》異様な人が来て尋問するなどの事が有ては独《ひとり》で辛抱が出来なく成り必ず忍で其情夫に逢に行くだろうと思うが」目科は余が言葉に返事もせず只管《ひたすら》に考うるのみなりしが忽然《こつぜん》として顔を上げ「いや了《いけ》ぬ、了ぬ、俚諺《ことわざ》にも鉄の冷《さめ》ぬうちに打てと云う事が有る、余温《ほとぼり》を冷ましては何も彼も後の祭だ余「では余温の冷めぬうちに甘《うま》く見破る工夫が有るのか目「随分険呑な工夫だけれど一か八か当《あたっ》て砕けるのさ余「夫にしても何う云う工夫だ目「工夫は唯だあの犬ばかりだ、犬を利用する外無いから旨《うま》く行けば詰る所君の手際だ、犬に目を附け初めたのは君だから、夫にしても遣《やっ》て見るまで黙《だまっ》て居たまえ、今に直ぐ分る事だ余「今に直なら夫まで無言で問ずにも居ようが真に今直遣るのかえ目「左様《さよう》、裁判所から倉子に出頭を命じたのが午後三時だから倉子は二時半に家を出るだろう、家を出れば其留守はあの下女が一人だから吾々の試験す可きは其間だ余「と云て今既に二時を打たぜ目「爾だ、さア直に行う」と云い早や勘定を済せて立上れり、目科が当ッて砕けろとは如何なる工夫なるや知ざれど、余は又も無言の儘従い行く、行きて藻西の家より遠からざる所に達し、再び但《と》ある露路に潜みて店の様子を伺い居るに、幾分間か経ちし頃、倉子は店口より立出たり、先ほどの黒き衣服に猶お黒き覆面を施せしは死せし所天《おっと》の喪に服せる未亡夫人かと疑わる、目科は口の中にて「仲々食えぬ女だわえ、悲げな風をして判事に憫《あわれ》みを起させようと思ッて居る」と呟きたり、暫くするうち倉子は足早に裁判所の方《かた》へと歩み行き其姿も見えずなりしが是より猶も五分間ほど過せし後、
前へ
次へ
全55ページ中48ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング