し》が有たので隣室の方と共に其方《そのほう》へ廻ッて夫故《それゆえ》此通《このとお》り」と言開く、細君は顔色にて偽りならぬを悟りし乎《か》、調子を変て「おや爾《そう》」と呟けり、此短き「おや爾」には深き意味ある如く聞ゆ「おや/\、探偵を勤めて居ることを隣の方にまで知せたのですか」と云うに同じかる可《べ》し、目科は直ちに其意を汲《く》み「隣の方と一緒でも構わぬよ、探偵を勤めるが何も恥では有るまいし」と言い掛るを細君が「なに爾では有りませんよ」と鎮《しずめ》んとすれど耳に入れず「成る程世間には探偵を忌嫌《いみきら》う間違ッた人も有《あろ》うけれど一日でも此|巴里《ぱり》に探偵が無かッて見るが好い悪人が跋扈《ばっこ》して巴里中の人は落々《おち/\》眠る事も出来ぬからさ、私は探偵の職業を誰に聞せても恥と思わぬ」とて喋々《ちょう/\》言張んとす、細君は斯《かゝ》る瞋《いか》りに慣たりと見え一言も口をはさまず、目科も頓《やが》て我言葉の過たるを悟りし如くがらり打解て打笑い「いや其様な事は何うでも好い、夫より先《ま》ア、二人とも空腹に堪えぬから何なりと喫《たべ》るものを」と云う、不意の食事は此職業には有りがちなれば細君は騒ぎもせず庖《くりや》の方《かた》に退きて五分間と経《へ》ぬうち早や冷肉の膳を持出で二人の前に供したれば、二人は無言《むげん》の儘忙わしく喫《た》べ初めしも、喫て先ず脾《ひ》だるさの鉾先だけ収まるや徐々《そろ/\》と話に掛り、目科は今宵の一条を洩さず細君に語り聞かす流石探偵の妻だけに細君も素人臭き聞手と違い時々不審など質問する孰《いず》れも能《よ》く炙所《きゅうしょ》に当れば余は殆ど感心し「此の聞具合では必ず多少の意見も有るだろう」と窃《ひそか》に思待《おもいま》つうちに、漸《ようや》く目科の話が終れば果せるかな細君は第一に「貴方は失念《ぬかっ》た事を仕ましたね」と云う、目科は宛《あたか》も今までの経験にて細君の意見の侮《あなど》り難きを知れる如く、此言葉に多少の重みを置き「失念《ぬかっ》た事とは何が細「現場を立去ッてから直《すぐ》に牢屋へ行くと云う事は有りませんよ目「だッて牢屋には肝腎《かんじん》の藻西太郎が居るだろうじゃ無いか細「でも貴方、藻西に逢た所で別に利益は無《なか》ッたでしょう、夫《それ》よりは何故直に藻西太郎の宅へ行き其《その》妻《さい》を尋問しませ
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