ヘ友達と一緒に食うんで、日本人のお茶の、葡萄酒が少しはずむんだ。二フランの室というのは、安ホテルの屋根裏だ。そしてパリのミディネットは、親のうちにいるものはごくまれで大がいはみなこの安ホテルの屋根裏ずまいだ。
 そこで、問題は、この一年二千フラン余りの不足が、どうして補われるかということだ。あるものは自炊をして、昼も晩もパンとジャガ芋かスープで済ます。洗濯と娯楽と被服とをうんと倹約する。あるものはいわゆる「お友《アミ》だち」の男と同棲する。夫婦共かせぎする。そしてあるものは、正午のやすみ時間に働く、いわゆるミディネットになる。
 イギリスの『タイムス』では、ミディネット等が「生活費や絹の靴下や白粉が高くなったので」罷工した、と冷やかしていた。実際、絹の靴下をはいているものもかなりある。また白粉をつけているものもかなり多い。しかし、パリの町の中をあるいている女で、そうでないものがどれだけあるだろう。そして大がいのミディネットは、その商売上、雇い主からそう強いられるのだ。
 また、この罷工中のミディネット等が、胸に箱を下げてあちこちのキャフェへ寄附金募集に歩くと、
「おい、そんなことをするよりゃ、往来をぶらぶらしろよ。」
 とからかう紳士がずいぶんある。この紳士等の望み通りにミディネットに「往来をぶらぶら」させるためには、そしてやがてそれを本職にさせるためには、彼女等の賃金は決して上げてはならないのだ。
 そしてこの紳士等の淑女は、往来やキャフェをぶらつく若い綺麗な女どもとその容色をきそうためには、決して子供を生んではならない。貧乏人の、あるいは乞食のような風をしたあるいは淑女のような風をした、どちらの女も、これまただんだん高くなってくるその生活のためには、決して子供を生んではならない。
 この頃発表されたフランスの人口統計表によると、この現象は最近ことにはなはだしい。
 一九二二年すなわち去年は、出産数が約七十五万九千だが、一昨年は一昨々年よりも約二万一千へり、そして去年は一昨年よりもさらにまた五万三千へっている。
 それをもう少し詳しく言うと、一九二二年には、

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  出産数………759,846[#「759,846」は底本では「759,946」]
  死亡数………689,267
   差引……  70,579
[#ここで横組み終わり]

 であるが、前二カ年には、この差引が、

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  1921…………117,023
  1920…………159,790
[#ここで横組み終わり]

 になっている。
 そして死亡数はほんの少しずつ減ってくるのだ。しかもそれは、多くは早死する。貧乏人の子供の上にだ。
 結婚の数もへった。

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  1920…………623,869
  1921…………456,211
  1922…………383,220
[#ここで横組み終わり]

 この結婚の数を人口一万に対する比例にすると、ちょうど次のようになる。

[#ここから横組み]
  1922………….195
  1921………….233
  1920………….318
[#ここで横組み終わり]

 避姙は貧乏人にはちょっとむずかしい。サンガー女史が一番有効なものとして推奨しているカプセルは、一つ五十フランするのだが、それも長くは使えない。また、前に言った瓢箪形のビデなどは、貧乏人の夢にも思えるものじゃない。
 労働者にはかなり子供ができる。僕の知っている労働者で、五人六人、または七人八人と子供をつくったのが、かなりあるが、その多くは、まだ赤ん坊の間か、あるいはほんのまだ子供の間に死ぬ。往来をぶらぶらするいかがわしい淑女達でも二十歳前に生んだ子供を一人ぐらいは持っているのがおおい。
 そこで、前に言った赤ん坊の頭ぐらいはやすやすと通れる、大きな穴や管の便所が必要になってくる。相応の医者へ行けば、五百フランぐらいで、勿論ごく内々で何の世話もなく手術をしてくれる。しかし貧乏人にはそうは行かない。
 堕胎はフランスでは重罪だ。が、こんど、それを軽罪にしたかするとかいう話を、四、五日前の新聞で見た。そこには毎年のこの犯罪数などもあったのだが、今その新聞が手もとにないので、詳しいこともまたはっきりしたことも言えない。
 これは貧乏人にとって、よほどありがたい改正のようだ。が、実際はそうでもないらしい。今までは、重罪だったので、陪審の人たちが多くは被告に同情して、容易にそれを有罪にさせなかった。また、よし有罪ときまっても、容易にその執行をさせなかった。それがこんどは、軽罪のお蔭で、陪審もなくなり、また裁判官の同情もよほどうすらごうと言うのだ。そしてその改正の目的も、実はやはり、そこにあるらしいのだ。
[#地付き]――一九二三年四月三十日、パリにて――
[#改ページ]

牢屋の歌

    一

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パリに
すきなこと二つあり
女の世話のないのと
牢屋の酒とたばこ
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 へたな演説には、きっと長口上の、何やかの申しわけの前置きがある。歌だってやはりそうだろう。と、まず前置きの前置きをして置いて、さて、そろそろと長口上に移る。
 パリの女の世話のないことは、前の「パリの便所」の中で話した。が、そこでは、物がちょっと論文めいた形式になったために、大分かみしも[#「かみしも」に傍点]をつけて、その中の「僕」という人間がいつもその世話のない女を逃げまわっているように体裁をかざっていた。
 が、体裁はどこまでも体裁で、事実の上から言えばそれは真赤なうそだ。逃げまわっていたどころじゃない。追っかけまわしていたくらいなのだ。
 その追っかけまわしていた女の中に、ドリイという踊り子が一人いた。バル・タバレンと言えば、パリへ行った外国人で知らないもののない、あまり上品でない、ごく有名な踊り場だ。そこの、と言ってもちっとも自慢にならないのだが、とにかくそこの女の中でのえりぬきなのだ。
 僕はその踊り場のすぐそばに下宿していたのだが、どうもパリは危険らしい様子なので、三月のなかばにこのわかれにくいドリイにわかれて、リヨンへ逃げた。そしてすぐドイツ行きの仕度にかかった。
 それにはまず、ドイツ領事のヴィザをもらう前に、警察本部の出国許可証をもらわなければならない。それが、警察へ行くたびに、あしたやる、あさってやる、という調子でごく小きざみに延び延びになって、一カ月あまり過ぎた。むしゃくしゃもする。もうメーデーも近づく。パリもなつかしい。ちょっと行って見ようとなってまた出かけた。
 そしてその翌晩、夕飯を食いがてらオペラの近所へ行って、そこからさらに時間を計ってドリイに会いに行こうと思った。が、そのオペラの近くのグラン・キャフェで、前に一度あそんだことのある、そして二度目の約束の時に何かの都合で会えなかって、それきりになっているある女につかまってしまった。
 その翌日はメーデーだ。今晩こそはドリイと思っていると、その日の午後、こんどはとんでもない警察につかまってしまった。
 秩序紊乱、官吏抗拒、旅券規則違反というような名をつけられて、警察に一晩、警視庁に一晩とめられて、三日目に未決監のプリゾン・ド・ラ・サンテに送られた。
 のん気な牢屋だ。一日ベッドの上に横になって、煙草の輪を吹いていてもいい。酒も葡萄酒とビールとなら、机の上に瓶をならべて、一日ちびりちびりやっていてもいい。
 酒のことはまたあとで書く。その前にドリイの歌を一つ入れたい。

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独房の
実はベッドのソファの上に
葉巻のけむり
バル・タバレンの踊り子ドリイ
[#ここで字下げ終わり]

 窓のそとは春だ。すぐそばの高い煉瓦塀を越えて、街路樹のマロニエの若葉がにおっている。なすことなしに、ベッドの上に横になって、そのすき通るような新緑をながめている。そして葉巻の灰を落しながら、ふと薄紫のけむりに籠っている室の中に目を移すと、そこにドリイの踊り姿が現れて来る。彼女はよく薄紫の踊り着を着ていた。そしてそれが一番よく彼女に似合った。

    二

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パリの牢のスウヴニルに
酒の味でも
飲み覚えよか
Ca《サァ》 va《ヴァ》 ! Ca《サァ》 va《ヴァ》 !
[#ここで字下げ終わり]

 僕はもう五、六年前から、ほんの少しでもいいから酒を飲むようにと、始終医者からすすめられていた。
 が、飲めないものはどうしても飲めない。日本酒なら、小さな盃の五分の一も甜[#「甜」はママ]めると、爪の先まで真っ赤になって、胸は早鐘のように動悸うつ。奈良漬けを五切れ六切れ食べてもやはりおなじようになる。サイダーですらも、コップに二杯も飲むと、ちょっとポオとする。
 ただウィスキーが一番うまいようなので、毎日茶匙に一杯ずつ紅茶の中に入れて飲んでいたが、それだけでもやはりちょっと苦しいくらいの気持になる。
 フランスに来てからは、いや上海からフランス船に乗って出てからは、食事のたびに葡萄酒が一本食卓に出るのだが、最初ちょっとなめて見てあんまり渋かったので、その後は見向いてもみなかった。
 けれども、牢にはいってみて、差入れ許可の品目の中に葡萄酒とビールの名がはいっているのを見出して、怠屈まぎれにそのどっちかを飲み覚えようと思った。ビールはにがくていけない。葡萄酒も、赤いんだと渋いが、白いんなら飲んで飲めないこともあるまい。女子供だって、お茶でも飲むように、がぶりがぶりやっているんだから。と、きめて、ある日、差し入れの弁当のほかに、白葡萄酒を一本注文した。
 Ca va ! Ca va ! というのは、よかろうよかろうくらいの意味だ。

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きのうは大ぶ渋かったが
きょうは少しあまし
飲みそめの
Vin《ヴェン》 blanc《ブラン》
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 Vin blanc(白葡萄)でも渋いことはやはり渋い。が、ほんのちびりちびり、薬でも飲むように飲む。そして、ほんのりと顔を赤らめながら、ひまにあかして一日ちびりちびりとやって、いい気持になってはベッドの上に長くなっていた。

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三日目に一本あけた
大手柄!
飲みそめの
Vin《ヴェン》 blanc《ブラン》
[#ここで字下げ終わり]

 一本といっても、普通の一本じゃない。アン・ドミとかアン・カアルとかいう半分か四分の一の奴なのだ。
 そして入獄二十四日目の放免の日には、警視庁の外事課で追放の手続きを待っている半日の間に、このアン・ドミを百人近くの刑事どもの真ん中に首をさらされながら、一本きれいにあけてしまった。

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そのたびになつかしからん
晩酌の
味を覚えし
パリの牢屋
[#ここで字下げ終わり]

 僕は日本に帰ったら、毎日、晩酌にこの白葡萄酒を一ぱいずつやって見ようときめた。

    三

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Vin blanc ちびりちびり
歌よみたわむる
春の日
春の心
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 春の心、と言っても、春情じゃない。牢やの中では、いつも僕は聖者のようなのだ。時々思いだしたドリイだって、実は一緒に寝たには寝たが、要するにただそれっきりのことだったのだ。
 ――〔Faire la'mour, ce n'est pas tout. Ju es trop jolie pour cela. Je t'adore.〕
 というような甘いことを、実際甘すぎてちょっと日本語では書きにくいのだ、子守歌でも歌って聞かせるような調子でお喋舌りしながら寝かしつけていたのだ。
 そしてまた、それだからこそ、時々彼女を思いだしたのだろうと思う。リヨンではたった一人のそして停車場まで夜遅く送って来た女のことも、メーデーの前の晩会った女のことも、またいつも赤い帽子をかぶっていたところから僕が「赤帽《シャポオ・ルウジュ》」とあだ名していた女のことも、その他本当に一緒に寝た女のことは一度
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