サの後、パリのあちこちを歩いて見たが、こうした西洋便所じゃない、そして幾室あるいは幾軒もの共同の、臭いきたない便所がいくらでもあるのだ。そして田舎ではそれがまず普通なのだ。
僕はまた、西洋便所とともに、西洋風呂も気持のいいものだと思っていた。が、このトレ・コンフォルタブルな安ホテルでは、どこの看板にも風呂付きというのは見たことがない。そしてまた、普通のうちで風呂なぞのあるのは滅多にない。男でも女でも、みんな一カ月に一度か二カ月に一度、お湯屋へはいりに行くのだ。しかもそのお湯屋だって、そうやたらにあちこちにあるのじゃない。ちょうど、有料の西洋便所とおなじくらいの程度に、ごく稀れにぶつかるだけだ。幸い僕は、このお湯屋もすぐ近所に見つけたので、二、三日目には二フラン五十(三十五銭ばかり)奮発して、そこのいいお得意様になった。もう一フラン出せば、その辺では立派な夕飯が食えるんだ。
二
しかし僕だって、そんな安ホテルで野蛮人のような生活ばかりしていたんじゃない。大して上等でもないが、とにかくまず紳士淑女のとまるホテルへも行った。
実は、前のホテルが仲間の巣のすぐ近所なので、その辺を始終うろついているおまわりさんのぴかぴか光る目がこわかったのだ、そしてそうそう逃げ出したのだ。
こんどは、室の中で栓一つねじれば、水でも湯でも勝手に使えた。西洋風呂もあった。西洋便所もあった。
僕は、猿またの捨て場所にこまって、そっとこの便所へ突っこんで、うんとひもをひっぱってドドドウと水を流して見た。うまく流れればいいがと思いながら、大ぶ心配しいしいやったんだが、何のこともなく綺麗に流れてしまった。
「なあに、そんな心配はないよ。フランスの便所は赤ん坊の頭が流れこむだけの大きさにちゃあんとできているんだからね。」
僕がその話をしたら、友人の一人がこう言って、そしてドイツでやはりこのでん[#「でん」に傍点]をやって失敗した話をした。猿またが中途でひっかかって管がつまってしまったので、お神さんに大ぶ油をしぼられた上に、その掃除代まで取られたんだそうだ。
が、そのほかにもう一つ、室のすみっこに何だかわけのわからんものがあった。白い綺麗な陶器でできているんだが、ちょうどおまる[#「おまる」に傍点]のような大きさの、そしてまたそんな形のもので、そのきんかくし[#「きんかくし」に傍点]にあたるところに水と湯との二つの栓がついている。そしてその真ん中ごろの両側が瓢箪形に少しへこんで、そこへ腰をおろすのに具合のいいようになっている。が、おまる[#「おまる」に傍点]にしては、固形物の流れるような穴はない。また立派な西洋風呂のあるのに、こんなもので腰湯を使うのも少しおかしいと思った。試みに栓をねじると、恐ろしい勢いで、水か湯かがジャジャジャアと出て来る。そして僕は、夜中になるとよく、となりの室でしばらく男と女の話し声が聞えると思ったあとで、このジャジャジャアのおとを聞いた。
寝台は大きなダブル・ベッドだ。枕はいつでも二つちゃんと並べてある。これは前の安ホテルででもやはりそうだったが。
パリについた晩、近所のうすぎたないレストランへ行って、三フラン五十の定食を食った。日本の一品料理見たいなあじのものだ。で、しかめつらをして食っていると、日本ではとても見られないような、毛唐と野蛮人とのあいの子のようなけったい[#「けったい」に傍点]な女がはいって来て、ココココと呼びかける。坊やというほどの意味だ。僕は恐ろしくなってさっそくそこを逃げだした。
が、そとへ出ると、すぐおなじような女がそばへやって来て「いかがです」てなことを言う。ホテルの前のかどでも、そんな女が二人突っ立っていて、いきなり僕の腕をとって、何やかやと話しながら一しょにあるいてくる。よくは分らないが、「五フランなら」というような言葉がその中にあったように思う。実は、このベルヴィル通りの労働者街を逃げ出したのは、おまわりさんもこわかったが、この五フラン女もこわかったのだ。
それからパリの中心のグランブウルヴァル近くのあるホテルへ引っこすとすぐ、夕方その辺をぶらぶらしながら、ちょっとはいるのに気がひけるようなある大きなキャフェへはいった。キャフェは実にうまい。僕は二、三ばい立てつづけに飲んだ。そして「もう一ぱい」とボーイに言いつけている間に、ふと五つ六つ向うのテーブルにいる若い綺麗な女が、僕の顔を見ながらニコニコしているのに気がついた。これはまた、日本ではとても見られないような、本当の西洋人の目のさめるような女だ。
僕はきっと僕があんまりキャフェを飲むんで笑っているんだろうと思った。それともまた、色の浅黒い妙な野蛮人がいるなと思って笑っているのかともひがんで見た。どっちにしても、僕にとっては、あんまり気持のいいことではない。僕は少々赤くなって、すましてほかの方を向いた。
すると、そこにもやはり、一人の若い綺麗な女が、僕の顔を見てニコニコしているのにぶつかった。少し癪にさわったので、こんどは度胸をすえて、こっちでもその女の顔をじっと見つめてやった。
が、笑っているんじゃないんだ。目がうごく、口がうごく、何か話しかけるように。
僕は変だなと思って、こんどは前の女の方を見た。やはりニコニコしている。そして今の女よりももっと、しきりに話しかけるようにして、顎までもうごかす。
僕は少々きまりが悪くなって、急いでキャフェを飲みこんでそこを出た。
三
翌日は、ちょっと用があるんで昼からタクシーでそとへ出た。自動車で道が一ぱいなので、車はよく止まる。そして、ぞろぞろとまた、歩くようにして走り出す。僕は急ぎの用じゃ自動車では駄目だなと思った。
こうして、ある広場の入り口でちょっと道のあくのを待っている間に、僕は、一人のやはり若い綺麗な女が、ニコニコしながらのぞきこんでいるのを見た。まど越しなので言葉は聞えないが、何か言っているようにすら見える。が、その言葉を聞きとろうと思って耳をかたむけている間に、車は走り出した。
その日は大奮発をして三十フランばかりの夕飯を食って、また大通りをぶらぶらしていると、何とか嬢の何とかの歌、何とか君の何とかの話というような題をならべた、寄席のようなものがあった。はいった。歌も話も、割りによく分るのでうれしかったが、それがあんまりつまらないくすぐり[#「くすぐり」に傍点]ばかりなので、いやになってすぐ出た。
そして、また大通りのショー・ウィンドウのあかあかとてらしたところや、キャフェのテラスの前を、ぶらぶらとあるいた。テラスというのは、キャフェの前の人道に椅子、テーブルを持ち出して並べてあるところだ。そこでは、大勢の男や女ががやがや面白そうに話ししながら、何か飲んでいる。そしてところどころに一人ぽっちの若い女がいて、それがほかの一人ぽっちの男にいろいろと目くばせしたり、前を通る男に笑いかけたりしている。
道を通る女という女は、ほとんどみなその行きちがう男に何か目で話しかけて行く。そして、おや見合ったなと思っているうちに、もう二人で手を組んだり、あるいは肩や腰に手をかけたりして、ペチャクチャ何か話ししながらあるいて行く。
女はみな、あの白い顔にまた綺麗に白粉をぬって、その上にところどころ赤い色をぬって、唇には紅をさし、目のふちは黒く色どっている。そしてその顔をまた、いろんな色の帽子と着物とでかざっている。
その女のうしろ姿がまたいい。すらりとした長いからだの、ことに今は長い着物がはやっているのでなおさらすらりとして見えるのだそうだ、肩や腰をちょこまかとゆすぶりながら、小足で高い靴の踵を鳴らして行く。
僕はそういうのにうっとりとしていると、一人の女にぶつかった。ぶつかったんじゃない。あっちから僕の前にのこのこ出て来たんだ。そして、
「どう、今晩私と一しょにあそばないか。」
と首をかしげて、細いしかしはっきりした可愛い声で言う。
悪い気持じゃない。しかし少々面くらった僕は、あわてて、ちょうどその前を通っていたやはり寄席のようなうちの中へ飛びこんだ。
ドアをあけて、はいるにははいったが、切符を売るようなところがないので、ちょっとまごついていた。すると、ボーイらしい男がやって来て、
「いい席にいたしましょうか。」
と言う。
「ああ、一番いい席にしておくれ。」
僕はどうせ高の知れたものと見くびって大見得をきった。ボーイはすぐ僕の前に立って案内した。
もう一つドアをあけると、そこは広いおどり場だった。盛んなオーケストラにつれて、十人あまりの女が今踊っている最中だ。僕はその一番前のテーブルに坐らされた。僕はボーイに二フランの銅貨を一つにぎらした、ボーイはしきりにお礼を言いながら、何か低い声でささやいた。僕はちょっと聞きとれないので聞き直した。
「もしお望みの娘がいましたら、ちょっと私に相図して下さい。すぐ呼んで来ますから。」
ボーイはそう言って、何か小さな紙片を置いて行った。そして、それと入れかわりに、またほかのボーイが来て、大きな紙片を一枚テーブルの上に置いた。見ると、シャンパンのメニュだ。五十フランとか六十フランとかいう値段が書いてある。これや大変だ、と思いながら、前の小さな方の紙片を取って見ると、それには入場無料、飲物是非、とかいてある。
「ちょっと待っておくれ。」
僕は踊りの方に夢中になっているような顔をして、一とまずそのボーイをしりぞけた。そして、短かい裾を盛んにまくりあげては足を高くあげて見せる、その何とか踊りがすんで、そしてこんどは見物の男や女がおどり場一ぱいになって踊りだしたのを機会に、シャンパンの註文をききにくるボーイの来ないうちにと思って、とっとと逃げ出してしまった。
四
今パリではミディネットが同盟罷工をしている。
このミディネットというのは、字引をひいてもちょっと出て来ない字だが、ミディすなわち正午にあちこちの商店や工場からぞろぞろと飯を食いに出てくる女という意味で、いろんな女店員や女工員を総称するパリ語だ。そしてこのミディネットがやはり、正午のやすみ時間に、本職の労働以外の労働をするという話を聞いた。実は、僕がミディネットという言葉を覚えたのも、その話からなのだ。
が、今罷工をやっているミディネットは、その中のお針女工だ。八千人ものこのお針女工がもう四週間も罷工をつづけて、大勢大通りをねってあるいて示威運動をしたり、罷工に加わらない工場へさそい出しにいったりして、あちこちで警官隊と衝突している。
僕はそのミディネットの一人に会った。そしてその生活状態も聞いて見た。
彼女はまだ若いし、腕も大してよくはないので、一週間に六十フランしかもらっていなかった。が、この一週間五、六十フランから一カ月三、四百フランというのが、まずパリでの一般のミディネットの普通の収入なのだ。パリの貧乏人の女は、娘でも細君でも、大がいみなこうして働いている。
そして彼女の毎日の支出は、その鉛筆で書いて見せた表によると、ざっとこうだ。
[#ここから3字下げ、横組み図表]
フラン
朝食(キャフェとパン)……0.60
電車(往復)…………………0.35
昼飯……………………………4.50
夕飯……………………………3.50
洗濯……………………………0.80
室代……………………………2.00
雑費(病気や娯楽)…………2.00
被服……………………………2.00
―――――――――――――――
合計………一日………… 15.75
同…………一週…………110.25[#「110.25」は底本では「110.00」]
同…………一月…………441.00
同…………一年………5,292.00
収入………一年………3,120.00
―――――――――――――――
不足………一年………2,172.00[#「2,172.00」は底本では「2,172.20」]
[#ここで字下げ終わり]
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