産主義者は保釈で釈放されたが、ドイツの二人だけは残された。二人ともフランスの法律に触れる理由は何にもなく、ただその政治上の都合でおしこめられていたので、たださえ二人は大ぶ憤慨していたのだが、ほかのものがみんな出されて自分等だけ残ったとなると、すぐ釈放を要求してハンガー・ストライキを始めた。そして、それを知った同じ牢やの政治監にいる既決囚の無政府主義者四、五名も、それに同情のやはりハンガー・ストライキを始めた。
 ドイツの二人は十幾日間頑強に飲まず食わずに過ごした。そしてほとんど死んだようになって病院に移されて、僕が放免になった二、三日後にようやくのことで釈放の命令が出た。
「僕も知っていれば……」
 と、僕は自分の太平楽を恥じかつくやんだ。
[#地付き]――一九二三年七月十一日、箱根丸にて――
[#改ページ]

入獄から追放まで

    一

 どうせどこかの牢やを見物するだろうということは、出かける時のプログラムの中にもあったんだが、とうとうそれをパリでやっちゃった。

 実は、大ぶうかつではあったが、このパリでということは、最初はあまり予期していなかったのだ。
 日本では最近にヨ
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