フ妻子のいる神戸へ行った。そして僕は山川から栄蔵の伝言だというのを聞いた。それによると、Tはちょうど上海にいないで、朝鮮人の方から栄蔵がロシアへ行く旅費として二千円と僕への病気見舞金二百円とを貰って来たということだった。しかしそれは、僕等がほかの方面から聞いた話、もっとも十分に確実なものではなかったが、とは大ぶ違っていた。が、そんなことはもうどうでもいい、それで彼等と縁切りになりさえすればいいのだ、と思った。
 上海の委員会は、Tが大して気乗りしていなかったせいだろう、僕が帰ったあとで何の仕事もしないで立消えになってしまったらしい。そして栄蔵が警視庁で告白したところによると、朝鮮の某(そんな名の人間はいない)から六千円余り貰って来たことになっている。

「ヨーロッパまで」が脇道の昔ばなしにはいって、大ぶいやな話が出た。僕はその後ある文章の中で「共産党の奴等はゴマノハイだ」と罵ったことがある。それは一つには暗にこの事実を指したのだ。そしてもう一つには、これもその後だんだん明らかになって来たことだが、無産階級の独裁という美名(?)の下に、共産党がひそかに新権力をぬすみ取って、いわゆる独裁者
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