オした。そして堺から山川に話しして、さらに三人でその相談をすることにきめた。そして僕は、近くロシアへ行く約束をして来たから、週刊新聞ももし彼等の手でやるなら任してもいい、また上海での仕事は共産主義者の彼等の方が都合がいいのだから、彼等の方でやって欲しい、と附け加えて置いた。が、それには、堺からも山川からも直接の返事はなくて、ある同志を通じて、僕の相談にはほとんど乗らないという返事だった。
 で、僕は、以前から一月には雑誌を出そうと約束していた近藤憲二、和田久太郎等のほかに、近藤栄蔵(別名伊井敬)高津正道等と一緒に、週刊『労働運動』を創めた。前の二人は無政府主義者で、後の二人は共産主義者なのだ。近藤栄蔵は、大杉等の無政府主義者とはたして一緒に仕事をやって行けるか、という注意を堺から受けたそうだが、かえって彼はそれを笑った。僕も一緒にそれを笑った。
 最初から僕は、この新聞はこれらの人達の協同に、全部を任せるつもりでいた。僕は仕事の目鼻さえつけば、すぐロシアへ出発する筈にしていたのだ。が、その仕事も始めないうちに、僕は病気になった。ずいぶん長い間そのために苦しんで、そしてしばらく落ちついて
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