ォなくなってしまった。その次に起ったのが例の大逆事件だ。そしてそれ以来僕等は、ずいぶん長い間、僕等自身の運動はもとより、諸外国の同志との交通もまったく不可能にされてしまった。
 それが今、この朝鮮の同志がもたらして来た(七字削除)の提案によって、こんどは社会主義というもっと狭い範囲で再び復活されようとするのだ。僕は喜んですぐさまそれを応ずるのほかはなかった。
 が、それと同時に、というよりも、それよりももっとという方が本当かも知れない。僕をして進んでそれに応じさせた、ある特殊の原因があった。それは、Mがすでにそれを堺や山川と相談して、そして二人から体よくそれを拒絶されたということであった。
 Mを密使として送った上海の同志等は、最初、(二十六字削除)。そしてMはまずひそかに堺と会ってそれを謀った。しかし、まだ組織中でもありまたごく雑ぱくな分子を含んでいる社会主義同盟が、すぐさまそれに加わるということは勿論、創立委員会でそれを相談するということですらも、とうてい不可能だった。第一にはまず、事が非常な秘密を保たれなければならなかった。そして第二には、(二十五字削除)の主なる人達がそれを助けているということは、いろんな異論とともに非常な危険をも伴わなければならなかった。
 そこでMはさらに個人としての加盟を堺と山川とに申込んだ。が、二人とも、大して理由にならない理由で、それを拒絶した。そしてさらにまた、誰かほかに出席することのできそうな人の推選を頼んだが、そしてその中には僕の名もあったそうだが、二人はそれもとうていあるまいと言って拒絶した。Mは仕方なしに、それでは、せめてその会議に賛成するという何か書いたものを土産にして持って帰りたいと頼んだが、それも体よく拒絶された。
 そしてMはほとんど絶望の末に僕のところへ来たのだ。僕は堺や山川がMをどこまで信用していいのか悪いのか分らないという腹を持っていたことはよく分った。僕にもその腹はあったのだ。よしMが誰からどんな信任状や紹介状を持って来たところで、外国の同志との連絡のなかった僕等には、その信任状や紹介状そのものがすでに信用されないのだ。しかし一、二時間と話ししているうちに、Mが本物かどうかぐらいのことは分る。そして本物とさえ分れば、その持って来た話に、多少は乗ってもいい訳だ。しかも堺や山川は、当時すでに、ほとんど、あるいは
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