して目覚めた労働者の大きな労働組合すらもある。そしてその中の鉄道従業員組合が、ちょうど僕等がそこを通る少し前の五月から六月にかけて、一カ月あまりの総同盟罷工をやった。
 オランダの官憲は、急に法律を改正して、いっさいの集合はその一週間前に届出ろと命じて、ほとんど労働者の集合を不可能にした上に、さらに主なる首領等を一網打尽的に拘禁した。そして警察力のほかに兵力までも動かしてそしてようやくのことでそれを鎮定した。
 この土人の組合は職業的にも組織されているが、また宗教的にも組織されて、ことに回々《ふいふい》教徒はもっとも強固に団結している。そしてそこには、賃金奴隷からの解放のほかに、民族的や宗教的の独立という意味までも加わって、なおさらにその熱烈の度を高めている。
 土地の新聞の言うところでは、そこにはまだいわゆるボルシェヴィキの煽動や影響はないが、広い意味での社会主義的思想は十分にはいっている。もしそれが、さらにインドや支那の同じ教徒等と結んで、英領やオランダ領の各地で事を挙げるようなことがあったら、それこそ大変だ、そうだ。
 さきに僕は香港の港を眺めながらの、支那の学生等の愛国的憤慨の言葉も聞いた。また、それらの学生の、安南をフランスから取返さなければ、という気焔も聞いた。そしてある時なぞは、フランスの下士官どもが、船の中へはいりこんで来た支那人の泥棒(?)を血だらけになるほどなぐったり蹴ったりしたのを見て、みんなキャビンにはいりこんだまま飯も食わずに憤慨しているのも見た。しかしまた同時に、彼等が同じ支那人の苦力の車夫を、ちょっとした賃金の問題から大勢でいきなりなぐったり蹴ったりするのも見た。そして彼等に対する同情がまったく失せてしまった。
 救いはこんな愛国者からは来ない。

    八

 コロンボ近くなった頃だと思う。無線電信で、ルール地方占領とフランスの共産党首領カシエン等の捕縛とが伝えられた。
 戦前のドイツ対フランスと、戦後のドイツ対フランスとは、少なくともその軍備においてまったく正反対になっている筈だ。ドイツの軍隊はほとんどまったく破壊されてしまった。そしてフランスは、その生産力の恢復よりも、軍備の充実により多くの力を注いだ。とてももう相撲にはならない。したがってドイツが急にこの挑戦に応じようとは考えられなかったが、軍国主義と反動主義とのお塊りのように
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