なっているフランスが、その勢いに乗じてどんな無茶をやらんものでもないということは、十分に考えられた。そして僕は、そこから起る結果についての、ある大きな期待をもってフランスにはいった。
が、フランスは、マルセイユでもリヨンでもパリでも、実に平穏なものだった。今にも戦争が始まりそうだとか、こんどこそはとかいうような気はいは、少なくとも民衆の生活の中にはどこにも見えない。みんな何のこともないように呑気に暮している。
僕は、大戦争およびその後も引続いて盛んに煽りたてられた狂信的愛国心が、まだ多分に民衆の中に残っていると思った。が、そんな火の気は、王党の機関紙『ラクション・フランセエズ』を先登とする三、四の新聞でぶすぶすとえぶっているくらいのもので、どこにも見えない。
この『ラクション・フランセエズ』ですら、フランスで一番保守的でそして一番宗教的な大都会のリヨンで、しかも郊外とは言いながら寺院区《カルティエ・デグリズ》とまで言われているある丘の上で、僕は六軒も七軒もの新聞屋を歩き廻ってとうとうその一枚も見出すことができなかった。
「ええ、戦争中にはずいぶん売れたもんですけれどもね。この頃はもうさっぱりですよ。で、売れないものを置いても仕方がないもんですから……。」
新聞屋の婆さんはどこへ行ってもみな同じようなことを言った。
そして、こうして歩き廻っている間に、これはその他のどこででもそうなのだが、片っぽうの手がないとか義足で跛をひいているとかいう不具者の、五人や六人や、九人や十人には会わないことはない。勿論みな大戦の犠牲なのだ。こういうのを始終目の前に見せつけられながら、今さら戦争でもあるまい、とも思った。
しからば、このルール占領や戦争に反対している共産党やC・G・T・Uの方はどうかというに、要するにただ、新聞や集会でのえらそうな宣言や雄弁だけに過ぎない。時々の示威運動もあるが、一向にふるわない。占領を止めることはもとより、占領軍の横暴を少しでも軽くすることにすら、何の役にも立っていない。
兵隊自身も、一九二一年に二カ年の約束で召集されて、ことしの三月には満期になる筈のが、一カ月二カ月と延びて、さらにいつどこへどう送られるようになるかも知れないのに、これという反対運動一つどこの兵営にも起らない。共産党の『ユマニテ』なぞは、毎日それについて何か書きたてているのだ
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