思っていたのだ。そして、パパは? と誰かに聞かれても黙って返事をしないかあるいは何かほかのことを言ってごまかして置いて、時々夜になるとママとだけそっと何気なしのパパのうわさをしていたそうだ。僕はこの魔子に電報を打とうと思った。そしてテーブルに向って、いろいろ簡単な文句を考えては書きつけて見た。が、どうしても安あがりになりそうな電文ができない。そしてそのいろいろ書きつけたものの中から、次のような変なものができあがった。
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魔子よ、魔子
パパは今
世界に名高い
パリの牢やラ・サンテに。
だが、魔子よ、心配するな
西洋料理の御馳走たべて
チョコレートなめて
葉巻きスパスパソファの上に。
そしてこの
牢やのお蔭で
喜べ、魔子よ
パパはすぐ帰る。
おみやげどっさり、うんとこしょ
お菓子におべべにキスにキス
踊って待てよ
待てよ、魔子、魔子。
[#ここで字下げ終わり]
そして僕はその日一日、室の中をぶらぶらしながらこの歌のような文句を大きな声で歌って暮した。そして妙なことには、別にちっとも悲しいことはなかったのだが、そうして歌っていると涙がほろほろと出て来た。声が慄えて、とめどもなく涙が出て来た。
しかし僕も、はいった初めから出る時まで、こんな御馳走ばかり食べていたのではない。
ちょうどはいる前の日に、『東京日日』の記者から原稿料の幾分かを貰っていたものだから、二、三カ月はどんなに贅沢をしたところで大丈夫だと思っていると、四、五日して看守がもう僕のあずけ金がないと言って来た。そんな筈はない、と言いはってなお調べさせて見ると、はいる時に持っていた金の大部分は裁判所で押えてしまったのだと分った。やはりドイツからでも貰った金だと見たのだろう。
仕方がない。それからは当分牢やのたべ物でがまんした。
朝八時頃になると、子供の頭ぐらいの黒パンを一つ、入口の食器口から入れてくれる。黒パンである上に、さらに真っくろに焦げつかして、まだ少し暖かみがある。が、味はない。ぼそぼそもする。僕は二た口か三口でよした。
前にベルヴィルの貧民窟にいた時、自炊をして、よく近所のパン屋へパンを買いに行ったのだが、黒パンはどこのパン屋にもつい見かけたことがなかった。パリではそんなパンを食う人間はまずないのだ。
それから一時間か二時間すると、大きな声で「スープ! スー
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