@野枝さん。
これでようやく本論にはいりかけて来た。けれども、ここまで書いて来て、この手紙を「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」とのみするよりも、さらに「女房に与えて彼女に対する一情婦の心情を語る文」というような意味がはいるのも、しごく妙だろうと思われるので、もう少し君の手紙を拝借して行きたい。お蔭様で、写字をして、だいぶ原稿が儲かる訳になるのだがね。
その後しばらくして、君の手紙の中に、再び保子のことが書かれてあった。たぶん新聞に出た彼女の談話から、そんな気持を誘い出されたものと思う。
「保子さんにはもう少し理解ができるようにお話しになれませんか。私は何を言われてもかまいませんが、もう少しあなたということをお考えになれないでしょうか。私には、何だかもっとあなたがよくお話しになれば、お分りならない方ではないような気がしますけれど。あなたは保子さんによくお話しをなさることを面倒がっていらっしゃるのではありませんか。もしそうなら、私は、できるだけもっと丁寧にあなたがお話しになるようにお願いします。どうでもいいというような態度はお止しになった方がよくはありませんか。勿論私はまだ、何にもあなたにそんなことは、お聞きしませんから分りませんけれど、またそうでなければそれ以上に仕方はありませんが。
「あなたが神近さんに対して、また私に対して、さしのべて下すった同じ手を、保子さんにもおのばしになることを望みます。私は神近さんに対して相当の尊敬も愛も持ち得ると信じます。同じ親しみを保子さんにも持ちたいと思います。保子さんは私に会って下さらないでしょうか。私は何だかしきりに会いたい気がします。あなたの一昨日のお話しのように、触れるところまで触れて見たい気がします。私も保子さんを知りませんし、保子さんもたぶんよく私というものをご存じではないだろうと思います。触れるところまで触れて、それでも私の真実が分らなければ仕方はありません。けれども、知らないでこんなにしているのは少し不満足な気がします。もっとも保子さんが私に持っていらっしゃるプレジュディスはかなり根深いものであるかも知れませんけれども、この私のシンセリティとそれとがどちらが力強いものであるかを見たい気も致します。もし保子さんが、お許し下さるなら、私はこんどお目に懸りたいと思います。
「けれどもまた、もしその結果が保子さんの上に大変な傷を与えるようなことになるとすれば、これは考えなければならないことであるかも知れません。けれども、私たちの関係は知らない人同士で認め合うというような、いい加減なことは許されないだろうと思われます。今会うことができないとしても、一度はぜひお目に懸からなければなるまいと思います。」
すると、翌日の手紙に、追っかけるようにして、君はさらに言う。
「保子さんのことを昨日の手紙に書きましたが、あれはとり消しましょう。今日安成さんから少しばかりお話しを伺いました。どうも今お会いするのは無駄なように思いますから。もしあなたの保子さんに対するお考えが委しく伺えれば本当にいいと思いますけれども。
「今朝から私はいろいろに考えていましたの。私の保子さんと、神近さんとに対する本当の心持を知りたいと思いましてね。ですけれど、私はやはり、どちらの関係もあなたの生活の一部として是認するだけで、あなたと保子さん、あなたと神近さん、それからあなたと私、というふうに切り離しては考えられないのです。要するに、私が、保子さんとあるいは神近さんとあなたとの間のことについて、お互いに理解し合ったり認め合ったりするということの方を現在の一番大きなことのように考えていたのは、まだ本当に自分であなたと私との関係がのみ込めなかったというふうに考えられて来ました。本当に平凡な事実なのですけれども。保子さんといい、神近さんといい、私といい、ただあなたを通じての交渉なのですから、あなたに向っての各自の要求がお互いにぶっつかりさえしなければ(何だか他に言い方があるような気がしますが)、みんなインディファレントでいられる筈だと思います。そうすれば、なお一層よくあなたを理解し合おうとするみんなの努力があれば、そこで初めて完全に手を握ることができるのだと思います。
「そうして今、神近さんと私とは、というよりも私の神近さんに対する気持は、この第一段にいるのだと思います。保子さんに対する私の気持は、第二段にまで進みかけているのですが、保子さんはまだ恐らくは第一段にまでも来てはいらっしゃらないように思われます。そこで私の保子さんに持つ心持は、保子さんには無理すぎることになって来ます。で、今しばらくはインディファレントでいます。あるいはそれ以上に進まないかとも思われます。しかし私としては、保子さんとも神近さんとも、本当に手を握りたいのが望みです。神近さんには、会ってよくお話しすれば、そこまで進めるかとも思います。ぜひそうあらねばならぬと思います。そうして初めて私たちの関係は自由なのですね。そうしてお互いに進んで行きたいと思います。
「ひとりいて、私はそういうことを考えては、自分の気持がずんずん進んで行くのがはっきり見えるのが嬉しくて堪りません。こんなことばかり考えていますと、頭がはっきりして来て、気がはればれして来て、いい気持になれます。けれども私はまだ恐れています。今、私があなたの愛を一番多く持っているということに、自分の安心があるのではないかということを。絶えずそう思っては注意していますけれども、今のところでは別にそんな感情は少しもまじっていないようですけれど、その反省だけは怠らずに続けています。」
四
野枝さん。
保子に対する君の気持は、この三つの手紙によって、非常によく分った。ただ、最後のが、もう少しはっきり言い現せそうなものだとは思ったが、そして大体においては、君のこのまったく自発的な進みかたが、ごく自然な、かつごく聡明な、また僕自身にとっては感謝しなければならぬほどのものだと思う。本当によくそこまで進んで来てくれた。
さらに、他の女に対する君の心持の進みかたを見ると、理想から漸次現実に引下って来た傾きがある。そしてこの傾きが、保子の他の女に対する、および神近の他の女に対する、心持の動きかたや進みかたと、自ずから異なるところがある。
最初は、僕に他の女のあるということが、どうしても君には話すことができなかった。君には、排他的の厳重な一夫一婦という、一種の理想があった。そこで君は、しきりと僕に、他のいっさいの女を斥けることを迫った。しかし、僕には、それがまったく無意味のことであった。他の女に対する僕の愛は、それよりももっと深そうに見える君に対する愛が生じたからとて、なくなった訳でもなくまた格別減った訳でもない。また、他の女に対する愛がなくなりあるいは減って行って、君にその愛を移したという訳でもない。甲の女によって求め得べからざるものを乙の女によって、また乙の女によって求め得べからざるものを丙の女によって、得るということもあろう。さらにはまた、甲の女には与え得べからざるものを乙の女に、また乙の女には与え得べからざるものを丙の女に、与え得るということもあろう。しかし、こんな理屈を言い出せば際限がないからいい加減に切りあげるが、とにかく僕のこの事実とおよびそれに対する僕の(五字削除)とは、断乎として君の要求を斥けるに足るの力があったのだ。
けれども君は、僕がかく君の要求を斥けながらも、なお君に対して深い愛を抱いていることを、認めない訳には行かなかった。また君自身としても、もし君の要求が容れられなければ僕との関係を絶つと決心したものの、なお僕に対して抱いている君の深い愛を、認めない訳には行かなかった。そして、この現実の方が君自身の真実ではあるまいかという考えが漸次に頭をもたげて来て、ついにはそこに君の全身を投ずるの冒険をあえてさせるまでに進んで来さえすれば、僕が他の女を棄てるかあるいは他の女が僕を去るか、いずれにせよ君に都合のいい何等かの事柄が起って来るだろうという、多少の予想があったけれども、君は、かくしてまったく僕に君の身を投じて来ると同時に、本当の現実の人となった。もしくは、まったく新しい現実の人となった。
君は僕に保子のあることも、神近のあることも、僕に対する愛の幻惑やまたは仕様事なしのあきらめからではなく、君自身の深い反省と自覚とから、心の奥底から是認するようになった。だが、それと同時にまた、君はこの是認を再び理想化しようとした。少なくとも、保子と僕とのおよび保子と君との関係を、事実ありのままに見ないで、ただちに君と僕との関係をもって律しようとした。そして君からの最後の手紙は、君が再び現実に降って、それからさらに理想に起ち上がろうという、本当のところまで進んで来たことを示すものである。
実際、君と保子とは、あるいは君と神近とは、もしその間に僕が介在していなければ、まったく没交渉の人として互いに済ましていられたのかも知れない。現に、君と僕とがこんな関係になるまでは互いにまったくあるいはほとんど相識りもせず、したがってほとんど何等の交渉もなかったんである。したがって諸君は、諸君の間の関係において、このありのままの事実から出発しなければならない筈だ。もし諸君が、互いに個人としての交際において、まったく相容れることのできない人々であるならば、その間に僕があるからといって、何でも強いて友人づきあいをするにも及ばない。これはちょうど、嫁や姑や小姑と親子もしくは姉妹の関係にはいらなければならないものと強いられるの馬鹿らしさと、同様のことである。ただここには、嫁と姑との間のごとき、一種の権力関係のないことが、しあわせである、ぐらいのことである。もっと適切な例を挙げれば、諸君の間の関係は、勿論、本妻と妾、もしくは妾同士が、あきらめや妙な粋から、本意なくも笑顔をつくり合っているようなものであってはならない。こんなことは、今ことに君に向って言う必要は少しもないのだが、世間の奴等は、とかく自分等の間の一般事実をもって、他の特殊の事実をも律しようとしたがるものだから、無駄なことまでも言わなければならない仕儀になる。
無駄と言えば、今僕が書いて来たことの大部分は、すべて無駄なので、「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」と題しながらも、実はまったくそれに触れることなくして、そのいわゆる一情婦の男およびその女房や他の情婦に対する心持の紹介と註訳とに力を尽して来たのも、要するに世間という馬鹿な奴等がさせるのだ。
君の心持は、君自身がやはりこの雑誌の本号に書くという、あるいは近く『大阪毎日』に連載するという、君の文章の中で、勿論もっと詳細にかつもっと正確に発表されることと思う、したがって僕のこの紹介や註釈は、君にとっては、余計な出しゃばりであるかも知れない。しかし、その出しゃばりが僕の好意そのものから出る大した悪くない癖でもあり、かつこの文章が君に宛てた手紙であるところから自然に君のことばかり頭に浮んで来ることをも察してくれれば、君としては許されないこともあるまい。もっとも、こんな書きかたをして、だいぶ僕自身のことを君に言わしたのは、ちょっと怪しからぬずるい遣りかたではあるがね。
しかし、どうかすれば、もう五年か十年かすれば、こんなふうな内容の、もっとも形式にはいろいろ変りはあろうが、たとえば同じ自由恋愛でもあるいは一夫一婦の、あるいは一夫多婦のあるいは多夫多妻の種々なる形をとることができようが、男女関係は、大して珍らしいことでもなくなって、したがって一々その男や女の心持を公表しなければならないというような必要もなくなるのだろう。
とにかく僕等は、今の僕等にとっては、というのは僕には最初からだが君や神近にはようやくこの頃になってからのことだから、きわめて平凡なことをやっているのだ。だから、少なくとも僕にとっては、もし世間の奴等さえぐずぐずと馬鹿なことを言わなければ、何にも自
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