深刻さが、そのまま裏づけられている、というようなのはほとんどない。裏づけられた実感の方が、その現された考えや言葉よりもさらに一層深い、というようなのは滅多にない。その考えや言葉がそのままただちに実行となって現れなければやまないというようなのはさらに少ない。
僕はこのなまけ者どもの上の特権者だ。監獄人だ。
が、こんなことを一々事実に照らして具体的に暗示し説明して行くことは、この雑誌の編集者の希望ではない。せいぜい甘い、面白可笑しいものという註文なんだ。
つい脱線して飛んだ気焔になってしまったが、ちょっと籐椅子の上で寝ころんで[#「寝ころんで」は底本では「寝ろこんで」]、日向ぼっこをしながら一ぷくして、また初めの呑気至極な思い出すままだらりだらりと書いて行く与太的雑録に帰ろう。
死刑執行人[#「死刑執行人」は太字]
と言ってもやはり、まず思い出すのは、先きに書きかけた「死処」の中の材料だ。これはいずれ物にするつもりであるが、したがって今洩らすのは大ぶ惜しい気もするが、その中のたった一つだけを見本のつもりで書いて置こう。
東京監獄に、今はもういないが、もと押丁というのがいた。看守の下廻りのようなもので、被告人等に食事を持ち運んだりする役を勤めていた。いつも二人か三人かはいたようだが、みんなまだ若い男で、一、二年勤めているうちには、小倉のぼろ服を脱いでサーベルをつった看守になった。
が、その中にただ一人、十年か二十年かあるいはもっと長い間か、とにかく最後まで、押丁で勤め終わせた一老人があった。僕が初めて見た時には、もう六十を二つ三つは越した年齢であったろうが、小造りながら巌丈な骨組の、見るからに気味の悪い形相の男だった。実際僕は初めて東京監獄にはいった翌朝、例の食器口のところへぬうとこの男に顔を出された時には、思わずぞっとした。栄養不良らしい蒼ざめた鈍い土色の顔を白毛まじりの灰色の濃い髯にうずめて、その中からあまり大きくもない眼をぎょろぎょろと光らしていた。その光の中には、強盗殺人犯か強盗強姦犯かの眼に見る獰猛な光と、高利貸かやりて婆さんかの眼に見る意地の悪い執拗な光とを併せていた。それにその声までが、少ししゃがれ気味の低い、しかし太い、底力の籠った、どこまでも強請して来る声だった。ちょっと何か言うのでも、けだものの吠えるように聞えた。
「これに拇印をおして出せ。」
不意にこう怒鳴られるように呼ばれて、差入弁当とその差入願書とを突き出されたものの、その突き出して来た太い皺くちゃな土色の指を気味悪く見つめたまま、しばらく僕はぼんやりしていた。
「早くしろ。」
僕は再びその声に驚かされて、あわてて拇印をおして、願書をさし出しながらそうっとその男の顔をのぞいた。そして不意に、本能的に、顔をひっこめた。何という恐ろしい、気味の悪い、いやな顔だろう。
初めての差入弁当だ。麹町の警察と警視庁とに一と晩ずつを明かして、二日半の間、一粒の飯も一滴の湯も咽喉を通さなかった今、初めて人間の食物らしい弁当にありついたのだ。それだのに、どうしても僕は、すぐに箸をとる気になれなかった。今の男の声と指と顔とが眼の前にちらつく。ことに、あの指で、と思うと、ようやく箸を持ち出してからも、はき気をすらも催した。
被告人等はみな、他の押丁とは、よくふざけ合っていた。おつけの盛りかたが少ないとか、実の入れかたが少ないとか、いうような我がままでも言っていた。どうかすると、
「なんだ押丁のくせに」と食ってかかるものすらもあった。また、その押丁が看守になってからでも、みんなはやはり、前と同じように親しみ狎れ、または軽蔑していた。ある押丁あがりの看守のごときは、その男は今でもまだ看守をしているが、その姓が女郎の源氏名めいているところから、夜巡回に来て二階の梯子段をかたかた昇って行く時なぞに、「○○さんえ」と終りの方を長くのばした黄いろな声で呼ばれて、からかわれていた。
しかしかの老押丁とは誰一人口をきくものもなかった。先きに言った僕との知友の強盗殺人君ですらも、この老押丁とは多くはただ睨み合ったまま黙っていた。看守も、他の押丁に対しては時々大きな声で叱ったりすることもあるが、この老押丁に対してだけはよほど憚っていた。用事以外には口もきかなかった。
老押丁はこうしてみんなに憚かられ気味悪がられ恐れられながら、いつも傲然として、得々として自分の定められた仕事をしていた。そして自分のすることについて少しでも口を出すものがあれば、被告人でも上役のものでも誰彼の別なく、すぐに眼をむいて怒鳴りつけた。僕はこの男が一度でも笑い顔をしたのを見たことがなかった。
やがて僕は、この男に、だんだん興味を持ち出して来た。気味の悪いのや、折々怒鳴りつけられて癪にさわるのは、初めからと変りはなかったが、それだけこの男についての印象はますます深く、その人間を知ろうとする興味もますます強まって行った。
ある日の運動の時、僕は獄中の何事についてでもその男に尋ねるのを常としていた、そしてまた何事についてでもいつも明快な答を与えてくれた例の強盗殺人君に、この老押丁のことを話しかけた。
「あの爺の押丁ね、あいつは一体何ものなんだい。」
なんでもその日の朝、食事の時に、おつけの実の盛りかたが少ないというような小言を言って、強盗殺人君は老押丁に怒鳴られていた。で、僕はそれを言い出して、何気なく聞いて見たのだった。そして僕は、せいぜい、
「うん、あいつか。あれはもと看守部長だったのが、典獄と喧嘩して看守に落されて、その後またとうとう押丁に落されちゃったんだ。」
ぐらいの返事を期待していたに過ぎなかった。が僕は、僕の問の終るか終らぬうちに、急に強盗殺人君の顔色の曇ったのを見た。そしてその答の意外なのに驚かされた。
「あいつがこれをやるんだよ。」
殺人君は親指と人さし指との間をひろげて、それを自分の咽喉に当てて見せた。
僕はそのまま黙ってしまった。殺人君もそれ以上には何にも言わなかった。
それ以来僕は、先きに気味悪かったこの老押丁の太い皺くちゃな土色の指を、食事を突き出されるたびに、ますます気味悪く見つめた。時としては、思わずそれから、眼をそむけた。
その後幸徳等が殺された時に聞いた話だが、死刑執行人は執行のたびに一円ずつ貰うのだそうだ。そしてあの老押丁はそれをみんなその晩に飲んでしまうのだったそうだ。
彼は、幸徳等十数名が殺されたすぐあとで、何故か職を辞した、と聞いた。
今僕は、ここまで書いて来て、しばらく忘れていた、「あの指」を思い出し、また友人等の死骸に見た咽喉のまわりの広い紫色の帯のあとを思い出して、その当時の戦慄を新しくしている。
かつて僕はユーゴーの『死刑前五分間』を読んだ。またアンドレーエフの『七死刑囚』を読んだ。ことに後者は、よほど後に、千葉の獄中で読んだ。その時にはたしかにある戦慄を感じた。しかし今、その筋を思い出して見ても、かつての時の戦慄の実感は少しも浮んで来ない。その凄惨な光景や心理描写が、きわめて巧妙にきわめて力強く、描き出されてあったことの記憶が思い浮べられるに過ぎない。けれどもあの二つの事実だけは、僕が僕の眼で見、僕の心で感じたあの二つの事実だけは、思い出すと同時にすぐにその当時の実感が湧いて来る。周囲の光景や場面の、またその時の自分の心持の記憶なぞよりも先きに、まずぶるぶると慄えて来る。
「俺は捕えられているんだ[#「俺は捕えられているんだ」は太字]」
千葉でのある日であった。運動場から帰って、しばらく休んでいると、突然一疋のトンボが窓からはいって来た。
木の葉が一つ落ちて来ても、花びらが一つ飛んで来ても、すぐにそれを拾っていろんな連想に耽りながら、しばらくはそれをおもちゃにしているのだった。春なぞにはよく、桜の花びらが、どこからとも知れず飛んで来た。窓から見えるあたりには桜の木は一本もなかった。窓に沿うて並んでいる幾本かの青桐の若木と、堺が「雀の木」と呼んでいたいつも無数の雀が群がっては囀っている何かの木が一本向うに見えるほかには、草一本生えていなかった。されば、あの高い赤い煉瓦の塀のそとの、どこからか飛んで来たとしか思えないこの一片の桜の花は、たださえ感傷的になっている囚人の心に、どれほどのうるおいを注ぎこんだか知れない。
何でも懐かしい。ことに世間のものは懐かしい。たぶん看守の官舎のだろうと思われる子供の泣声。小学校の生徒の道を歩きながらの合唱の声。春秋のお祭時の笛や太鼓の音。時とすると冬の夜の「鍋焼うどん」の呼び声。ことにはまた、生命のあるもの少しでも自分の生命と交感する何ものかを持っているものは、堪らなく懐かしい。空に舞う鳶、夕暮近く高く飛んで行く烏、窓のそとで呟く雀。
しかるに今、その生物の一つが、室の中に飛びこんで来たのだ。僕はすぐに窓を閉めた。そして箒ではらったり、雑巾を投ったりして、室じゅうを散々に追い廻した末に、ようやくそれを捕えた。
僕はこのトンボを飼って置くつもりだった。馴れるものか馴れないものか、僕はそれを問題にするほど、トンボに知恵があるかとは思っていなかった。が、できるものなら、何か食わせて、少しでもこの虫に親しんで見たいと思った。
僕はトンボの羽根を本の間に挾んでおさえて置いて、自分の手元にある一番丈夫そうな片の、帯の糸を抜き始めた。その糸きれを長く結んで、トンボをゆわえて置くひもを作ろうと思ったのだ。
が、そうして、厚い洋書の中にその羽根を挾まれて、しきりにもみ手をするように手足をもがいているトンボに、折々目をくばりながら、もう大ぶ糸も抜いたと思う頃に、ふと、電気にでも打たれたかのようにぞっと身慄いがして来た。そして僕はふと立ちあがりながら、そのトンボの羽根を持って、急いで窓の下へ行って、それをそとに放してやった。
僕は再び自分の席に帰ってからも、しばらくの間は、自分が今何をしたのか分らなかった。その時の電気にでも打たれたような感じが何であったか、ということにすらも思い及ばなかった。僕はただ、急に沈みこんで、ぼんやりと何か考えているようだった。そしてそのぼんやりとしていたのがだんだんはっきりして来るにつれて、何でも糸を抜いている間に、「俺は捕えられているんだ」という考えがほんのちょっとした閃きのように自分の頭を通過したことを思い出した。それで何もかもすっかり分った。この閃きが僕にある電気を与えて、僕のからだを窓の下まで動かして、あのトンボを放してやらしたのだ。
僕は、今世間で僕を想像しているように、今でもまだごく殺伐な人間であるかも知れない。少なくともまだ、僕のからだの中には、殺伐な野蛮人の血が多量に流れていよう。折を見ては、それがからだのどこかから、ほと走り出ようともしよう。僕は決してそれを否みはしない。殺伐な遊戯、殺伐な悪戯、殺伐な武術。その他いっさいの殺伐なことにかけては、子供の時から何よりも好きで、何人にも負を取らなかった僕は、そしてそれで鍛えあげて来た僕は、今でもその気が多分に残っていないとは決して言わない。
子供の時には、誰でもやるように、トンボや、蝉や、蛙や、蛇や、猫や、犬をよく殺した。猫狩りや犬狩りをすらやった。そしてほかの子供等があるいは眼をそむけ、あるいは逃げ出してしまうほどの残忍をあえてして、得々としていた。虫や獣が可愛いいとか、可哀相だなぞと思うことはほとんどなかった。ただ獣で可愛いいのは馬だけだった。父の馬は、よく僕を乗せて、広い練兵場を縦横むじんに駈け廻ってくれた。が、小動物はすべてみな、見つけ次第になぶり殺すものぐらいに考えていた。
それが今、獄中でもこのトンボの場合に、ただそれを自分のそばに飼って見ようと言うことにすら、それほどのショックを感じたのだ。動物に対する虐待とか残忍とか言うことは、大きくなってからは、理性の上には勿論感情の上にも多大のショックを感じた。しかしことに自分がそれをやっている際に、こんなに強く、こんなに激しく、こんなに
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