深く感じたことはまだ一度もなかった。そしてその時に僕は、僕のからだの中に、ある新しい血が滔々として溢れ流れるのを感じた。
 その後僕は、いつもこのことを思い出すたびに、僕はその時のセンチメンタリズムを笑う。しかしまた翻って思う。僕のセンチメンタリズムこそは本当の人間の心ではあるまいか。そして僕は、この本当の人間の心を、囚われ人であったばかりに、自分のからだの中に本当に見ることができたのではあるまいか。
 手枷足枷[#「手枷足枷」は太字]
 やはりこの千葉でのことだ。
 ある日の夕方、三、四人の看守が何かガチャガチャ言わせながら靴音高くやって来るので、何事かと思ってそっと例の「のぞき穴」から見ていると、てんでに幾つもの手錠を持って、僕の向いの室の戸を開けた。その室には、その日の朝、しばらく明いていたあとへ新しい男がはいったのであった。
「いいから立て!」
 真先きにはいった看守が、お辞儀をしているその男に、大きな声であびせかけた。その男はおずおずしながら立ちあがった。まだ二十五、六の、色の白いごく無邪気らしい男だった。
「両手を前へ出せ!」
 再びその看守は怒鳴るように叫んだ。そしてその間にほかの看守等もどやどやと靴ばきのまま室の中へはいった。何をしているのかは見えない。ただ手錠をしきりにガチャガチャ言わしているのと、これじゃ小さいとか大きいとか看守等がお互いに話しているのとで、その男に手錠をはめているのだという察しだけはついた。
「今時分になって、何だってあんなことをするんだろう。」
 初めは僕は、その男に手錠をはめて、どこかへ連れ出すのかと思った。そんな時か、あるいはあばれて仕末に終えない時かのほかには、手錠をはめるのをまだ見たことがなかった。その男は来てからまだ一度もあばれたこともなければ、声一つ出したこともなかった。しかし看守等は、その男の腕にうまくはまる手錠をはめてしまうと、「さあ、よし、これで寝ろ」と言いすててさっさと帰ってしまった。僕にはどうしてもその意味が分らなかった。
 翌朝早く、また二、三人の看守がその男の室に来て、こんどはその手錠をはずして持って帰った。僕はますますその意味が分らなくなった。
 昼頃になって、雑役が仕事の麻束を持って来た時に、僕は看守のすきを窺って聞いた。
「何だい、あの向いの奴は?」
「うん、何でもないんだよ。今まで向うの雑房にいたんだがね。首をつって仕方がないんで、とうとうこっちへ移されちゃったんだ。それで、夜じゅう、ああして手錠をはめられて、からだが利かないようにされてるんだよ。」
 こうして、夜になると手錠をはめられ、朝になるとそれをはずされて、それが幾日も、幾日も、たしか二、三カ月は続いたかと思う。僕はその男が何で自殺しようとしたのか、その理由は知らなかった。ただ、もう三度も四度も、五度も六度も、首をつりかけたりあるいはすでにつっていたりするのを発見された、ということだけを聞いた。
 そしてある晩、その男が両手を後ろにして帯のところで手錠をはめられているのを見て、どうしてあんな風をして寝られるだろうと思って、試みに僕も手拭で苦心して両手を後ろでくくりつけて寝て見た。初めはからだを横にして寝て見たが、肩や腕が痛くて堪らんので、こんどはうつ伏せになった。しかしそれではなお苦しいので、またからだを前とは反対に横にした。こうして一晩じゅう転輾して見ようかとも思ったが、どうしても堪えられないで、すぐに手拭を解いてしまった。
 それから、これは僕等のとは違う建物にいた男だが、湯へ往復する道で、やはり手錠をはめて、足枷までもはめて、そして重い分銅のようなものを鎖で引きずって歩いているのによく出食わした。
 その男もやはり二十五、六の、細面の、どちらかと言えば優男であった。
 分銅のようないわゆるダ(漢字を忘れた)という奴を引きずって歩かせる、という徴罰のあることは、かねて聞いていた。かつて幼年学校時代に、陸軍監獄の参観に行って、そのダの実物を見たこともあった。しかし、それともう一つの、何でも革具で、ハンドルを廻すとそれがぎゅうぎゅうからだを締めつけるという、そして二、三分もそれを続けるとどんな男でも真蒼になってしまうというのは、今ではもうほとんど使わないということは、その時にも聞いた。
 しかるに今、そのダを引きずっているのを、眼の前に見るのだ。その男は、一列になった大勢の一番あとに、両足を引きずるようにして、のろのろというよりもむしろようやく足を運んで行った。が、その足の運びかたよりも、さらに見るに堪えなかったのは、その気味の悪いほど蒼ざめた顔の色と、やはり同じように蒼ざめた痩せ細ったその手足とであった。
 どんな悪いことをしてこんな懲罰を食っているのか、またいつからこんな目に遭っているのか、僕は誰にもそれを聞く機会がなかった。また誰にもそれを聞いて見る勇気がなかった。よしまた、それを知ったところで、それが何になるとも思った。
 おしゃべりの僕等の仲間も、その男に会った時には、みな黙ってただ顔を見合せた。いつも僕の隣りにいた荒畑は泣き出しそうな顔をして眉をぴりぴりさせた。そして誰も、その男の方をちょっと振りむいただけで、幾秒間の間でも直視しているものはなかった。
 幾度懲罰を食っても[#「幾度懲罰を食っても」は太字]
 この懲罰で思い出すが、囚人の中には、どんな懲罰を、幾度食っても獄則を守らないで、とうとう一種の治外法権になっている男がある。どこの監獄でも、いつの時にでも、必ず一人はそういう男がある。
 もう幾度も引合いに出した、東京監獄のあの死刑囚の強盗殺人君も、その一人だ。
 巣鴨では例の片輪者の半病監獄にいたのだから、さすがにそういうのには出遭わなかったが、それでも裁判所の仮監で同じ巣鴨の囚人だというそれらしいのに会った。
 長い間仮監で待たせられている退屈しのぎに、僕は室の中をあちこちとぶらぶら歩いていた。そこへ看守が来て、動かずに腰掛けてじっとして居れと言う。裁判所の仮監は、あの大きな建物の地下室にあって、床がタタキでそこに一つ二つの腰掛が置いてある。が、長い間木の腰掛に腰掛けているのは、臀が痛くもあり退屈もするので、そんな時には室の中をぶらぶらするのが僕の常となっていた。そしてそのために今まで一度も叱られたことはなかったので、ただちに僕は、その看守と議論を始めた。ついにはその看守があまり訳の分らぬ馬鹿ばかり言うので、ほかの看守等がみな走って飛んで来たほどの大きな声で、その看守を罵り出した。それがその時一緒にいたもう一人の囚人に、よほど気に入られたらしい。
「君なんかはまだ若くて元気がいいからいい、うんとしっかりやりたまえ。何でも中ぶらりんでは駄目だ。うんとおとなしくしてすっかり役人どもの信用を得てしまうか。そうなれば多少の犯則も大目に見て貰える。それでなきゃ、うんとあばれるんだ。あばれてあばれてあばれ抜くんだ。減食の二度や三度や、暗室の二度や三度は、覚悟の上で、うんとあばれるんだ。そうすれば、終いにはやはり、大がいのことは大目に見て貰える。だが中ぶらりんじゃ駄目だ。いつまで経っても叱られてばかりいる。屁を放ったといっては減食を食う。それじゃつまらない。僕なんぞも前にはずいぶんあばれたもんだ。それでも減食を五度暗室を三度食ってからは、もう大がいのことは叱られない。歌を歌おうと、寝ころんでいようと、何でも勝手気儘な振舞いができるようになった。」
 四十余りになるその男は、僕を何と思ったのか、しきりに説いて聞かせた。実際その男は減食の五度や六度や、暗室の三度や四度や、また五人十人の看守の寄ってたかっての蹴ったり打ったりには、平気で堪えて来れそうな男だった。からだもいいし、話しっぷりもしっかりしているし、いかにもきかぬ気らしいところも見えた。
 僕は例の強盗殺人君でずいぶんその我儘を通している囚人のあることは知っていた。しかしそれは死刑囚だからとばかり思っていた。死刑囚では、なおそのほかにも、その後そんなのを二、三人見た。が死刑囚でない囚人が、それだけの犠牲を払ってその自由をかち得ているということは、この話で初めて知った。
 そしてその後千葉で、初めて、そういう男に実際にぶつかった。今でもその名を覚えているが、渡辺何とかいう、僕と同じ罪名の官吏抗拒で最高限の四年喰っている男だった。
 この男とは、東京監獄でも同じ建物にいて、よく僕の室の錠前の掃除をしに来たので、その当時から知っていた。初め窃盗か何かで甲府監獄にはいっていたのを、看守等と大喧嘩して、そのために官吏抗拒に問われて東京監獄へ送られて来ていたのであった。額から鼻を越えて眼の下にまで延びた三寸ばかりの大きさの傷があった。また、同じ大きさの傷が両方の頬にもあった。その他頭にも数カ所の大きな禿になった傷あとがあった。それはみな甲府で看守に刀で斬られたのだそうだ。
「初めは私等の室の十二、三人のものが逃走しようという相談をきめて、運動に出た時に、ワアァと凱《とき》の声をあげたんです。」
 と、ある時その男は錠前を磨きながら、元気のいいしかし低い声で話し出した。
「すると、一緒にいた何十人のものが、やはり一緒にワアァと凱の声をあげたんです。看守の奴等びっくりしやがってね。その間に私等十何人のものは、運動場の向うの炊事場へ走って行って、そこに積んであった薪ざっぽを一本ずつ持って、新しく凱の声をあげて看守に向って行ったんです。すると看守の奴等は青くなって、慄えあがって、手を合せて、どうか助けてくれって、あやまるんです。」
 渡辺はちょいちょい看守の方を窃み見ながら、少し開けた戸の蔭に顔をかくして、うれしそうに話し続けた。
 それからみんなはどやどや門の方に走って行ってとうとう門番を嚇しつけて、先頭の十幾人だけが、いったん門外に出たのだそうだが、やがてまたこんな風で逃げ出してもすぐに捕まるだろうというので引帰して来た。そしてみんな監房へ入れられた。
 その後二、三日の間は、監房の内と外とで囚人と看守との間の戦争が続いた。囚人が歌を歌う。看守がそれを叱る。というようなことがもとで唾の引っかけ合い、罵詈雑言のあびせ合いから、ついに看守が抜刀する。竹竿を持って来て、そのさきにサーベルを結びつけて、それを監房の中へ突きやる。囚人は便器の蓋や、はめ板をはずして、それを防ぐ。やがて看守はポンプを持って来て煮湯を監房の中に注ぎこむ、囚人等は布団をかぶってそれを防ぐ。というような紛擾の後に、とうとう渡辺は典獄か看守長かの室に談判に行くことになった。そこで数名の看守に斬りつけられたのだと言う。
「ね、旦那、その斬った奴がみんな前に運動場で手を合せてあやまった奴等でしょう。実に卑怯なんですよ。」
 渡辺はこう話し終って、もうとうに磨いてしまった錠前の戸を閉めて、また隣りの室の錠前磨きに移って行った。
 この男は、東京監獄では、まだ裁判中であったせいか、ごくおとなしくしていた。そしていよいよ官吏抗拒の刑がきまって千葉へ移された時にも、その当座は至極神妙にしていたが、やがて何に怒ったのか、また手のつけられない暴れものになってしまった。
「ね、旦那、こんどはもう私は出たら泥棒はやめです。馬鹿馬鹿しいですからね。いくら暴れたって、泥棒じゃ誰も相手にしちゃくれないでしょう。だから、こんどは私、旦那のところへ弟子入りするんです。ね、いいでしょう、旦那、出たらきっと行きますよ、旦那の方じゃ、暴れれば暴れるほど、名誉になるんでしょう。そして監獄に来ても、まるで御大名で居られるんですからな。」
 僕がもう半年ばかりで出ようという時に、渡辺が来て、こんなことを言った、僕は少々困ったが「ああ来たまえ」とだけは言って置いた。
 が、いまだにまだ、この男はそのいわゆる「弟子入り」に来ない。どこに、どうしているんだか。たぶんまた、どこかの監獄にはいっているんだろうとは思うが。泥棒にはちょうどいい、小柄の、はしこそうな、まだ若い男だったが。
 しかしこの「弟子入り」は、向うで来
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