で見、僕の心で感じたあの二つの事実だけは、思い出すと同時にすぐにその当時の実感が湧いて来る。周囲の光景や場面の、またその時の自分の心持の記憶なぞよりも先きに、まずぶるぶると慄えて来る。
 「俺は捕えられているんだ[#「俺は捕えられているんだ」は太字]」
 千葉でのある日であった。運動場から帰って、しばらく休んでいると、突然一疋のトンボが窓からはいって来た。
 木の葉が一つ落ちて来ても、花びらが一つ飛んで来ても、すぐにそれを拾っていろんな連想に耽りながら、しばらくはそれをおもちゃにしているのだった。春なぞにはよく、桜の花びらが、どこからとも知れず飛んで来た。窓から見えるあたりには桜の木は一本もなかった。窓に沿うて並んでいる幾本かの青桐の若木と、堺が「雀の木」と呼んでいたいつも無数の雀が群がっては囀っている何かの木が一本向うに見えるほかには、草一本生えていなかった。されば、あの高い赤い煉瓦の塀のそとの、どこからか飛んで来たとしか思えないこの一片の桜の花は、たださえ感傷的になっている囚人の心に、どれほどのうるおいを注ぎこんだか知れない。
 何でも懐かしい。ことに世間のものは懐かしい。たぶん看
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