守の官舎のだろうと思われる子供の泣声。小学校の生徒の道を歩きながらの合唱の声。春秋のお祭時の笛や太鼓の音。時とすると冬の夜の「鍋焼うどん」の呼び声。ことにはまた、生命のあるもの少しでも自分の生命と交感する何ものかを持っているものは、堪らなく懐かしい。空に舞う鳶、夕暮近く高く飛んで行く烏、窓のそとで呟く雀。
しかるに今、その生物の一つが、室の中に飛びこんで来たのだ。僕はすぐに窓を閉めた。そして箒ではらったり、雑巾を投ったりして、室じゅうを散々に追い廻した末に、ようやくそれを捕えた。
僕はこのトンボを飼って置くつもりだった。馴れるものか馴れないものか、僕はそれを問題にするほど、トンボに知恵があるかとは思っていなかった。が、できるものなら、何か食わせて、少しでもこの虫に親しんで見たいと思った。
僕はトンボの羽根を本の間に挾んでおさえて置いて、自分の手元にある一番丈夫そうな片の、帯の糸を抜き始めた。その糸きれを長く結んで、トンボをゆわえて置くひもを作ろうと思ったのだ。
が、そうして、厚い洋書の中にその羽根を挾まれて、しきりにもみ手をするように手足をもがいているトンボに、折々目をくばりな
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