いう多少の志がないでもなかった。また、学校を出る当座には、陸軍大学の教官となって、幼年学校時代の同窓等に、しかもその秀才等に「教官殿」と呼ばして鼻を明かしてやろうかというような子供らしい考えがないでもなかった。学校を出てからも、僕の旧師でありかつ陸軍でのフランス部の[#「フランス部の」はママ]オーソリティであった某陸軍教授を訪ねて、陸軍大学への就職を頼んだこともあった。その話がよほど進行している間に、しかもその教授の運動の結果を聞きに行く筈の日の数日前に、電車事件で投獄された。そしてこの事件の投獄とともにその後の運命はきまってしまった。
そればかりではない、僕の今日の教養、知識、思想性格は、すべてみな、その後の入獄中に養いあげられ、鍛えあげられたと言ってもよい。二十二の春から二十七の暮れまでの獄中生活だ。しかも、前に言ったように、きわめて暗示を受けやすい心理状態に置かれる獄中生活だ。それがどうして、僕の人間に、骨髄にまでも食い入らないでいよう。
故郷の感じを初めて監獄で本当に知ったように、僕の知情意はこの獄中生活の間に初めて本当に発達した。いろいろな人情の味、というようなことも初め
前へ
次へ
全51ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング