初めからと変りはなかったが、それだけこの男についての印象はますます深く、その人間を知ろうとする興味もますます強まって行った。
 ある日の運動の時、僕は獄中の何事についてでもその男に尋ねるのを常としていた、そしてまた何事についてでもいつも明快な答を与えてくれた例の強盗殺人君に、この老押丁のことを話しかけた。
「あの爺の押丁ね、あいつは一体何ものなんだい。」
 なんでもその日の朝、食事の時に、おつけの実の盛りかたが少ないというような小言を言って、強盗殺人君は老押丁に怒鳴られていた。で、僕はそれを言い出して、何気なく聞いて見たのだった。そして僕は、せいぜい、
「うん、あいつか。あれはもと看守部長だったのが、典獄と喧嘩して看守に落されて、その後またとうとう押丁に落されちゃったんだ。」
 ぐらいの返事を期待していたに過ぎなかった。が僕は、僕の問の終るか終らぬうちに、急に強盗殺人君の顔色の曇ったのを見た。そしてその答の意外なのに驚かされた。
「あいつがこれをやるんだよ。」
 殺人君は親指と人さし指との間をひろげて、それを自分の咽喉に当てて見せた。
 僕はそのまま黙ってしまった。殺人君もそれ以上には何にも言わなかった。
 それ以来僕は、先きに気味悪かったこの老押丁の太い皺くちゃな土色の指を、食事を突き出されるたびに、ますます気味悪く見つめた。時としては、思わずそれから、眼をそむけた。
 その後幸徳等が殺された時に聞いた話だが、死刑執行人は執行のたびに一円ずつ貰うのだそうだ。そしてあの老押丁はそれをみんなその晩に飲んでしまうのだったそうだ。
 彼は、幸徳等十数名が殺されたすぐあとで、何故か職を辞した、と聞いた。
 今僕は、ここまで書いて来て、しばらく忘れていた、「あの指」を思い出し、また友人等の死骸に見た咽喉のまわりの広い紫色の帯のあとを思い出して、その当時の戦慄を新しくしている。
 かつて僕はユーゴーの『死刑前五分間』を読んだ。またアンドレーエフの『七死刑囚』を読んだ。ことに後者は、よほど後に、千葉の獄中で読んだ。その時にはたしかにある戦慄を感じた。しかし今、その筋を思い出して見ても、かつての時の戦慄の実感は少しも浮んで来ない。その凄惨な光景や心理描写が、きわめて巧妙にきわめて力強く、描き出されてあったことの記憶が思い浮べられるに過ぎない。けれどもあの二つの事実だけは、僕が僕の眼
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