るに、第一に此の芸術論に反対したものは、実に今回の民衆芸術論の最初の提唱者、本間久雄君其の人であったのだ。本間久雄君は憎悪に美はないと云った、反抗に美はないと云った。
 フランスでの民衆芸術の提唱者、ロメン・ロオランはさすがに分っている。ロオランは云う。
「強暴と云う事は決して芸術のつき物ではない。人間の良心が、それに衝突してそしてそれを打破って行かなければならない、不正不義のつき物である。芸術は闘争を絶滅する事を目的とするものではない。芸術の目的は、生を豊富にし、力強くし、更に大きく更に善くする事にある。されば、若し愛と結合とが其の目的であるとすれば、憎悪は或る時期までは恐らくは其の武器である。セント・アントワヌ郊外の一労働者が、一切の憎悪は悪であると云う事を切《しき》りに説いて聞かせた一講演者に云った。『憎悪は善である。憎悪は正義である。被圧制者をして圧制者に反抗して起《た》たしめるのは此の憎悪である。私は或る男が他の人々を圧制しているのを見れば、私は其の事を憤慨する。其の男を憎む。そして憤慨し憎悪する自分が正しいのだと思う。』悪を憎まないものは、又、善をも愛せないものである。不正
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