諸君の芸術は遊びである、戯れである。吾々の日常生活にまで圧迫して来る、此の事実の重さを忘れしめんとする、あきらめである、組織的瞞着の有力なる一分子である。
「吾々をして徒らに恍惚たらしめる静的美は、もはや吾々とは没交渉である。吾々はエクスタジイと同時にアントウジアムスを生ぜしめる動的美に憧れたい。吾々の要求する文芸は此の征服の事実に対する憎悪美と反抗美との創造的文芸である。」
と云った。そして更に、此の憎悪と反抗とによる「生の拡充」を説いて、
「生の拡充の中に生の至上の美を見る僕は、此の憎悪と此の反抗との中にのみ、今日生の至上の美を見る。征服の事実が其の絶頂に達した今日に於ては、諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。諧調は偽りである。真はただ乱調にある。
「事実の上に立脚すると云う日本の此の頃の文芸が、なぜ社会の根本事実たる、しかも今日其の絶頂に達した、此の征服の事実に触れないのか。近代の生の悩みの根本に触れないのか。」
と云った。僕の此の芸術論は明白な民衆芸術論であったのである。僕の要求する芸術は、ロメン・ロオランの謂わゆる、新しき世界の為めの新しき芸術であったのである。然
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