People と云う言葉は、最初本間久雄君によって、平民労働者と解釈された。本間君が主として其の人の説に拠《よ》ったエレン・ケイは、「休養的教養論」の最初に「八時間の労働と八時間の睡眠と云う事と共に八時間の休養と云う正当な要求を其の旗印としている群集」と云って、明かに平民労働者を其の休養的教養の対象としている。ロメン・ロオランの民衆即ち People が平民労働者である事は後に明かになるであろう。然るに、此の People は民衆ではない、平民労働者ではない、謂《い》わゆる民衆劇即ち People's Theatre の People's は一般的(general)とか普遍的(universal)とかの意味で、アメリカなどでは People をそう云う事が沢山ある、と云い出した人さえある。アメリカ帰りの語学者山田嘉吉君及び其の細君の山田わか子君の如きそれである。しかしこんな場合には、アメリカ通とか語学通とか云う事それ自身が間違いのもとである。石坂養平君の如きも、矢張りそんなような意味で、「民衆芸術家としての中村星湖」を論じている。
次ぎには、民衆と云う文字と芸術と云う文字との間にはいる
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