に聞えるに違いない。しかし、これが大げさに響かないようにならなければ、民衆芸術の本当の意義や価値は分からないのだ。
二
ロメン・ロオランは、前世紀の末年から現世紀にかけて非常な勢で拡まった民衆芸術の大運動に就いて、次ぎの二つの事実を記して置きたいと云って、民衆が急に芸術の中に勢力を得て来た事と、民衆芸術と云う総名の下に集まる諸説の極めて紛々たる事とを挙げている。
「現に民衆劇の代表者と云われる人々の間に、全く相反する二派がある、其一派は、今日有るがままの劇を、何劇でも構わず、民衆に与えようとする。他の一派は、此の新勢力たる民衆から、芸術の新しい一様式、即ち新劇を造り出させようとする。一は劇を信じ、他は民衆に望みを抱く。」
此の「諸説」は、日本ではまだ或る理由から、さほど明瞭には「紛々」としてもいないが、若し民衆芸術に就いての議論がもっと盛んになり、或は其の議論の実行が現われるようになれば、どれほど「紛々」として来るか分からない。今日でも既に其の萌芽は十分にある。芸術を信ずるものと、民衆に望みを抱くものと、其の中間をぶらついているものと、いろいろある。
民衆即ち
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