てくれた親の田舎臭いのを恥じる、成上り者共の多い文壇の事である。五人や十人の、篤志なしかし無邪気な、或は新しもの好きの、或は又物知りぶりや見え坊の先生等が、其の一角で少々立ち騒いで見たところで、殆んど何んの跡かたも残さずに過ぎ去られて了《しま》うに違いない。
しかし僕は、飽くまでも此の問題は、いつものような文壇の流行品扱いを避けさせたい。民衆芸術は、ロメン・ロオランの云ったように、流行品ではない、ディレタント等の遊びではない。又、新しき社会の、其の感情の、其の思想の、已むに已まれぬ表現であると共に、老い傾いた旧い社会に対する其の闘争の機関である、ばかりではない。ロメン・ロオランが起草した、民衆劇場建設の檄にもあるように、此の問題は実に、民衆にとっても亦芸術にとっても、死ぬか生きるかの大問題である。
大げさな事を云う、と笑ってはいけない。殊に、今まで何んの彼のと我物顔に民衆芸術を説いていた人達には、単に闘争の機関と云っただけでも既にしかめっ面をしなければならない怪《け》しからぬ事のように聞えるのであろうが、更に生きるか死ぬかの大問題だなどと云えば、きっと途方もない大げさな物の云いかた
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