争とを相倶《あいとも》にしなければならない。
如何なる美も、如何なる偉大も、青春や生命の代わりをする事は出来ない。諸君の芸術は老人の芸術である。吾々が、吾々の晩年に吾々の任務を果たし、吾々の共同行為の義務を尽した後に、公平無私の芸術や、ゲエテの晴朗や、純粋の美を望むのは、善い事でもあり自然の事でもある。それは人生の旅の至上の理想であり究竟である。しかし、其処へ行くだけの功蹟もなしに、余りに早く其処に到達する人々や民族は、悲しむべきものである。其等の人々や其等の民族には、其の晴朗は、無感覚即ち死の前兆に過ぎない。生は不断の更新である。闘争である。有らゆる苦難のある闘争の方が、諸君の美わしい死よりも善いのだ。
静穏な時代や芸術は如何にも望ましい仕合《しあわせ》である。しかし其の時代が乱れている時には、其の国民が闘っている時には、其の国民に味方して闘い、其の国民を奮起せしめ、其の国民の行くべき道をさえぎっている無知を打破り、偏見を斥けて行くのが、芸術の目的である。
シルレルは既に、一七九八年に、其の「ワルレンスタインの戦」の上場の際に云っている。
「今其の幕を開きつつある此の新時代は、
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