たなければ了解されない謂わゆる高級芸術とを並立させてはいない。「民衆の為めとは、労働者階級の人々の為めと云う意味であるから、其の芸術は、彼等労働者にもよく鑑賞され、理解されるほど、通俗的な、普遍的な、非専門的なものでなければならない」とも云っていない。こんな誤解され易い、又誤解する方が尤もな、余計な事は云っていない。
 これを要するに、エレン・ケイはただ、ロメン・ロオランの民衆芸術論の要旨を紹介して、それに「其の一語も残さずに賛成し」更に其の一方面の休養的教養を力説して、現在の民衆の娯楽物を批評したにとどまる。そして、此の休養的教養を力説した事が、何事にも精神的で個人的で且つ謂わゆる温健な、エレン・ケイの特徴なのである。従って、本間久雄君のように、此の方面からのみしかも極くまずく民衆芸術を説くとなると、頗《すこぶ》る妙なものが出来上るわけだ。

       五

 然らば、エレン・ケイが「其の一語も残さずに賛成した」と云う、ロメン・ロオランの民衆芸術論の要旨はどんなものか。ロオランの民衆芸術論は主として民衆劇論である。以下出来るだけロオラン自身の言葉によって、其の要旨を述べる。
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