の如き作物は、民衆の為めには、有益と云うよりも却って気落ちさせるものである。要するに、此の「暗の力」や又は「織工」の如き作物は、貧窮の長い絶叫か若しくは悲嘆話しで、其の杞憂や絶望は、既に余りに生活の為めに苦しめられている貧民に元気をつけるとか慰安を与えるとかと云うよりも、寧ろ富者の良心を覚醒させる為めのものである。或いは又、せいぜい、貧民の中の少数の、選ばれた人々の為めのものである。

       七

 しかし、此の主として「民衆の為めの」芸術が民衆に享楽されるようになるには、又彼の本当に「民衆の」芸術が生れるようになるには、先ず其の「民衆」が必要である。
「嘗つて」とイタリイの革命家マジニイは云った。当時彼れはまだ若くて、其の生涯を文学に貢献するつもりでいたのだ。「嘗つて私は斯う思った。芸術がある為めには、先ず国民が無ければならないと。当時のイタリイには其のいずれもなかったのだ。祖国もなく自由もない吾々は芸術を持つ事も出来なかった。されば吾々は先ず、『吾々は祖国を持つ事が出来るだろうか』と云う問題に献身して、此の祖国を建設する事に努めなければならなかったのだ。斯くてイタリイの芸術は吾々の墳墓の上に栄えるのだ。」
 吾々も矢張り云おう。諸君は民衆芸術を欲するのか。然らば、先ず民衆其者を持つ事から始めよ。其の芸術を娯《たの》しむ事の出来る自由な精神を持っている民衆を。容赦のない労働や貧窮に蹂みにじられないひまのある民衆を。有らゆる迷信や、右党若しくは左党の狂信に惑わされない民衆を。自分の主人たる、そして、目下行われつつある闘争の勝利者たる民衆を。ファウストは云った。
「始めに行為あり」と、
 斯くしてロメン・ロオランは、其の民衆芸術の当然の結論として、芸術的運動と共に、と云うよりも寧ろそれに先だって、社会的運動に従わなければならないと断言した。
 然るに、飜《ひるがえ》って我が日本での民衆芸術論者を見るに、此の点に於て果してどれ程の用意があり又覚悟があるか。少なくとも又、果して此の点に考え及んだ事すらあるか。
 猶ロメン・ロオランは、其の民衆芸術論を労働運動論で結んでいると共に、其の芸術論をも生活論で終らせている。彼れは云う。
「私は劇が好きだ。劇は多くの人々を同じ情緒の下に置いて友愛的に結合させる。劇は、皆んなが其の詩人の想像の中に活動と熱情とを飲みに来る事の出
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