れなければならない。これは民衆の心が無邪気なせいではない。却って其の健全な為めである。民衆の此の確信には道理がある。此の確信は、生活に必須の一つの力であり、又進歩の法則でもある。
 然らば、民衆には、散々人を泣かせて置いて遂に目出度し目出度しで終るメロドラマでなければいけないと云うのか。決してそうではない。斯う云う粗雑な虚偽は、アルコオルと同じように、民衆を無気力にする催眠剤である。麻酔剤である。吾々が芸術に持たせたいと思う娯楽の力は、精神的元気を犠牲にするものであってはならない。
 次ぎに民衆芸術は元気の源でなければならない。元気を弱らしたり凹ましたりする事を避けなければならないと云う義務は全く消極的のものである。従って此の義務には、必然に、其の反対の、即ち元気を得させ又強めさせる、と云う積極的の方面がある。民衆芸術は民衆を休息させつつ、更に翌日の活動に適せしめるようにしなければならない。
 第三に、民衆芸術は理知の為めの光明でなければならない。民衆を其の目的地にまっすぐに導いて、途々自分の周囲をよく見る事を教えなければならない。暗い蔭と襞《ひだ》と妖怪とに充ち満ちた人間の恐ろしい脳髄の中に、光りを拡げなければならない。労働者は其の肉体は動いているが、其の思想は大抵休んでいる。此の思想を働かせる事が肝心なのだ。そして、少しでも其の思想を働かせる事が出来て来ると、それは労働者にとって快楽にさえなるのだ。しかし、民衆をただ考えさせ働かせる状態に置くだけでとどめなければならない。如何に考え如何に導くべきかを教えてはいけない。労働者をして、有らゆる物事を、人間や自分自身を、明かに観察し明かに審判する事を覚えさせなければならない。
 歓喜と元気と理知と、これが民衆芸術の主なる条件である。其他の諸条件は自然と備わって来る。そしてお説法やお談義は、折角《せっかく》芸術を好きなものまで嫌いにさせて了う、手段としても極めて拙劣な非芸術的のものである。
 又、此の種の民衆芸術は、近代の謂わゆる社会劇とも違う。たとえば、平民を最もよく理解し、又最もよく愛した現代人トルストイは、あれ程厳しく其の傲慢を圧えていたのにも拘らず、使徒と云う其の使命と自分の信仰を他人に強いなければやまない強い欲望と、及び其の芸術上のレアリズムの要求とは「暗の力」などでは、其の非常な慈悲心よりも余程強かった。斯く
前へ 次へ
全14ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング