静まってから左翼の方の寝台へ遊びに行くこともやはり東京から来た先輩に教わった。「仲間」の仕事というのは、これが一番主なことであったのだ。
 この東京から来た先輩の中には、もっとも「仲間」ではなかったが乃木将軍の息子もいた。からだは第一期生じゅうで一番大きかったが、学科は一番できなかった。そしていつも大きな口をにやにやと微笑ましていた。

 が、そんな「武士道の迷行」へばかりでなく、僕はまた本当の武士道へもまじめに進んで行った。
 何とかいう文学士の教頭が、倫理の時間に、武士道の話をした。それは、死処を選ぶということが武士道の神髄だ、というのだった。
 僕はその話にすっかり感服した。そして僕の武士道を全うするためには、僕自身の死処をあらかじめ選んで置かなければならないと決心した。それ以来僕は古来の武士の死にかたをいろいろと研究し出した。何かの本を読んでは、これはと思う武士の死にざまを、原文のまま写し取った。そしてその写しは、たしかに一巻の書物くらいにはなっていた。
 そのいろんな死にざまの中で、僕の心を一番動かしたのは、戦国時代の鳥井強右衛門のはりつけだった。というよりもむしろ、そのはり
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