父が日清戦争で出征するとすぐ、竹町とは反対の方の片田町の隣りの、西ヶ輪[#底本では「西ケ輪」]という町に引越した。斎藤という洋服屋の裏の小さな家だった。そして父がまだ宇品で御用船の出帆を待っている間に、母に男の子が生れた。父から「イサムトナヲツケヨ」と電報が来た。三の丸では次弟が生れた。片田町では三番目の妹が生れた。そして、これで僕は三人の妹と二人の弟との五人の兄きとなった。母はこの六人の子と一人の女中と都合八人で、二階一間下三間の、庭も何にもない小さな家にひっこんだのだ。片田町の家は七間か八間あった。そしてできるだけの倹約をして貯金を始めた。
母は仮名のほかは書けないので、手紙の上封はみな僕が書かされた。中味も、父と山田の伯母へやるののほかは、大がい僕が書かされた。母が口で言うのを候文になおして書くんだが、まだ学校で教わらないような用事ばかりなので閉口した。母はずいぶんもどかしがりながらも、そのできあがるのを喜んで、自慢で人に見せていた。しかし僕は、それよりも、よそから来る手紙を母に読んで聞かせる方が、よほど得意だった。
ある日僕は学校から帰って来た。そしていつもの通り
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