には、僕は子供の時の父との親しい交渉をあまり覚えていない。

 日清戦争前には、僕の家は、今言った練兵場に沿うた、片田町というのにあった。四番目の家だ。これも焼けて無かった。
 その頃の僕の遊び場は練兵場だった。
 射的場と兵営のお濠との間には障害物があった。これは、二、三百メートルばかりの間に、灌木の藪や、石垣や、濠や、独木橋や、木柵などをならべ立てたもので、それを兵隊が競走するのだった。僕はそこで毎日猿のように、藪を飛び、濠を越え、橋を渡って遊んでいた。兵隊が競争しているそばへ行って、それと一緒に走り出しても、大がいは僕が先登だった。それが飽きると、というよりもむしろ、もう夕方近くなって兵隊がみな隊に帰ると、僕はよく射的場の弾丸をほりに行った。
 大宝寺の方の弾丸は鉛の細長いのだったが、ここのは丸かった。昔の単発銃のだからずいぶん大きかった。僕はそれを四十も五十も拾って来ては、それを溶かして、いろんな形をこしらえて喜んでいた。
 この弾丸をほることは一つの冒険だった。時々衛兵が見廻りに来た。衛兵でない兵隊もよくそこを通った。で、普通は、夜暗くなってからでなければ取りに行かなかったの
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