らっしゃりたいですって。これからの方針も何もかも、もう自分一人でちゃんときめていらっしゃるんだわ。ね、おばさん、本当にしっかりしていらっしゃるんだから、わたし栄さんに代っておばさんやおじさんにお願いしますわ、早く栄さんのお望み通りに東京へ出しておやんなさるといいわ。」
「まあ、そんなに勉強しているんですかね。わたしはまた、うちで少し気が変だなんて言うから、どんなに心配していたか知れないの。そして黙って見ているんだけれど、べつにこれといって変なところもなしね。かえって変に思っていたくらいですわ。礼ちゃん、本当にありがとうよ。わたし、それですっかり安心したわ。」
僕はこの話し声を聞いて、本を閉じて、一人でしくしく泣きながら、どんなことがあってもうんと勉強して、彼女のためにだけでもえらい人間になって見せると一人で誓った。
その晩は珍らしく礼ちゃんが夜遊びに来た。が、その日の話については、彼女も何にも言わなければ、僕もまた何にも言うことができなかった。僕はただ黙って、心の中でだけ彼女に感謝しているほかはなかった。そして彼女はいつもと同じように、僕を慰さめ励まして、幼な物語に夜を更かして自分の室へ帰って行った。
その翌日は、朝早くから、うちじゅうが総がかりでごたごた騒いでいた。そして夕方に、女中どもや子供達を残して、みんなが出てしまった。僕はいよいよ礼ちゃんがお嫁に行ったのだなと思った。礼ちゃんが何にも言わずに行ってしまったことはずいぶんさびしかったが、もう恋人を人にとられたような妙な気持はちっともしなかった。そして、ただ彼女の上に幸あれと思うほかに、きのう一人で彼女に誓った言葉をまた一人で繰返していた。
二
それから四、五日経って、ある晩僕は父と母との前に呼ばれた。父の顔にはもう僕を名古屋へ迎いに来て以来の、むずかしそうな筋が一つも出ていなかった。母も僕がはいって行った時にいつもちょっとやる、そのはいって行ったのを知らないような顔つきはよして、にこにこして迎い入れてくれた。
「これからどうするつもりだ。」
父はできるだけ優しく、しかし簡単にただこれだけのことを言った。僕は一人できめていただけのことをはっきりと、しかしやはり簡単に答えた。
「文学はちょっと困るな。」
父は僕の言葉を聞き終ると、ちょっと顔をしかめて首を傾けた。
「文学って何ですの。」
母は心配そうに父の顔をのぞいた。
「それ、あの桑野の息子がやったようなものさ。」
「あの、大学を卒業して、何にもしないで遊んでいる、あの方?」
「うん、あれだ。あんなんじゃ困るからな。」
「そうね。」
僕はその桑野の息子というのがどんな男か知らなかったが、母もそう言われれば、父に賛成するほかはないらしかった。
「とにかく東京へ出して勉強はさせてやるつもりだが、文学というのだけはもう一度考え直して見てくれ。お前も七、八人の兄弟の総領なんだからな、医科とか工科とかの将来の確実なものなら、大学へでもやってやるがね。どうも文学じゃ困るな。」
父はまた顔をしかめて首を傾けた。
「でも、せっかくそうときめたことを今すぐ考え直すというわけにも行きますまいし、もう一日二日考えさして見たらどうでしょう。」
母は父にそう言ってなお僕にも附けたして言った。
「お父さんも東京へ出してやるとおっしゃるんだから、今晩はもうこれで室へ帰って、もっとよく考えて見てごらん。」
僕はそれでもう僕の目的の七、八分は達したものと思って喜んで室に帰った。
その翌日は、たぶん父に頼まれたのだろうと思うが、医学士で軍医の平賀というのが来て、しきりに医者になれと勧めて行った。これは子供の時から僕が始終世話になっている医者で、幼年学校の入学試験の時にも僕の目の悪いのを強いて合格にしてくれた人だった。が、僕にはどうしても医者になる気はなかった。その後外国語学校を出た時にも、今の平民病院長の加治ドクトルが、その息子の時雄君の連れとなってフランスへ行って医学をやったらどうかと勧めてくれたのだが、やはりどうしても医者になる気はなくって断ってしまった。そしてさらにその後、自然科学に興味を持つようになってから、いっそのことあの時に医者になっていればよかったと、時々にそして今でもまだそう思うことがある。
が、そこへ、もう一人、ちょうどいい妥協論者が出てくれた。それは父が大ぶ目をかけていた森岡という若い中尉だった。父はこの中尉にきっと僕のことを相談したに違いなかった。中尉は僕のところに来て、友達のようにして相談に乗ってくれた。
「お父さんはどうしても文学は困ると言うんだが、ほかに何か方法はないものかね。」
中尉はうちの財政上のことからいろんな話をして、僕に再考を求めた。
「そんなら語学校へ行ってもいいんです。」
僕は
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