て、それがフラフラ右左によろめきながら幾度も門の溝の中に落ちかけた。妙だな、と思って肩をつかまえて聞くと、
「それが君んとこの子供の仕業だと言うんだそうだ。それでとにかくその家まで送り届けさして置いたそうだがね。医者は頸の根のところは急所で、ちょっと針でさしても死ぬくらいだが、これは治ってもたぶん馬鹿になってしまうだろう、と言っていたそうだ。」
 という岡田少佐の話だったんだそうだ。
 そう言われると僕は思い出した。その頃学校では毎日「隅取り」という遊びをしていた。それは雨天体操場の二つの隅に各々一隊ずつ陣取って、その陣屋を守っているものを押しのけくぐり抜けて、それを占領する遊びだった。が、普通尋常に押しのけくぐり抜けているんでは、いつ勝負がつくか知れない。それでまず第一攻撃隊にそれをやらして置いて、敵の陣容の大ぶくずれかかった時に、一人か二人の勇者をそこへ飛びこませるのだった。この勇者等は、組打ちをしている敵味方の肩の上から陣屋のなるべく奥へ飛びこんで、一挙にしてその一番奥の隅を占領するのだ。僕はいつもこの勇者の役目がお得意でいた。その飛びこむ時に、何とかいう子の肩の急所を蹴ったのじゃあるまいかと。

 僕は父と母とにその話をした。そして三人できっとその時のことだろうときめてしまった。
 父と母とはすぐ見舞いに行った。が、向うでは、それをひどく恐縮して、何でもよいことにしてしまった。
 その後その子がどうなったかよく覚えていないが、目つきがちょっと藪にらみのようになって、いつも何にも言わずに黙っているのを見たようにも思う。
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自叙伝(三)

   一

 高等小学校の二年を終る少し前のことだった。ある日先生から、大沢と大久保と僕と三人に、その晩先生の下宿を訪ねるようにと言われた。
「何の用だろう。」
 三人は心配しだした。先生に自分の家へ来いなぞと言われたのは初めてだった。が、いくら三人が首をあつめて見ても、それが何の用だかは、どうしても見当がつかなかった。それだけ三人はなお心配した。
 三人はどこかで待合せて、びくびくしながら、地蔵堂町の先生の下宿へ一緒に行った。
 先生はにこにこしていた。そして自分でお茶を出してくれて、かしこまっている僕等に無理無理にあぐらをかかした。
「こんどこの土地に中学校ができるんだがね、どうだ、みんなはいって見ないか。」
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